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情報化における手書きで重要だと思う3点 |
Date: 2023-06-23 (Fri) |
新たな知見ではなく、これまでここで述べてきたことを、重要な3点として、載せておきます。
タイトルを書けば、次の3つである。
・情報機器に対しても手書きを基本としてはすべきでは!?
・教師の手書きをみる機会の減少に対する配慮の必要性
・アルファベット圏と異なり不可逆である危険性
次に、それぞれについて、これまで書いて来たことは次のように参照できると思います。
・情報機器に対しても手書きを基本としてはすべきでは!?
→ 「手書きとインターフェイス・コミュニケーション」
http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/column/log/55.html
「スマートフォンの手書き入力について」
http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/column/log/58.html
「手書き入力されたデータが必ずしもアナログではないことについて」
http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/column/log/64.html
・教師の手書きをみる機会の減少に対する配慮の必要性
→ 「大人が書くところを見るということ」
http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/column/log/77.html
・アルファベット圏と異なり不可逆である危険性
→ 「手書きしなくても済む機器が使えなくなった時、、」
http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/column/log/82.html
上記をクリックするまでもないが、とりあえず何?、と思う場合は、以下をご覧下さい。
・情報機器に対しても手書きを基本としてはすべきでは!?
手書きと情報機器の使用とは、相反するものではなく、情報機器の
インターフェースとして、コミュニケーションツールとしての情報機器で
あればなおのこと、手書きによることを重視すべきでないでしょうか。
(画像として。コード+パラ言語的要素として)
それが私たちの言語運用の正常進化であるように思えてなりません。
・教師の手書きをみる機会の減少に対する配慮の必要性
「まねて学ぶ(習う)」ということ、非意図的な学習は、母語の習得に
限らず、幼児期に大人のまねをすることなど様々考えられます。手書き
することの学びのかなりの部分は、教師が書く様子を見て学んでいる
可能性があります。だとすると、板書を書き写す機会が減少する傾向
がある状況において、意図的におこなう必要性があるのではないで
しょうか。
・アルファベット圏と異なり不可逆である危険性
情報機器を用いた文字の使用においては、手書きよりも容易に文字が使用
できると考えて良いと思われます。漢字の複雑な字体構造を正確に把握でき
ていなくとも、キーボードによるローマ字かな漢字変換や、フリック入力に
よる変換などを用いれば漢字が使えます。ただ、情報機器がなしに文字を
用いたり、記録を残したりする必要が生じた場合、その能力を取り戻すため
のエネルギーは、アルファベット圏の言語に比べ、我々日本語は非常に大き
なものであるといえるでしょう。いったんそちらに行ってしまうと戻れない
かも知れないことを、アルファベット圏の言語の国々に比べて、意識する
必要があるとはいえないでしょうか。
- このページの内容について著作権は放棄していません。使用の際は、必ず「著者名:押木秀樹」と「出典:www.shosha.kokugo.juen.ac.jp」「年月日:本ページ上部に掲示」を明記して下さい。
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