■ 手書きしなくても済む機器が使えなくなった時、、 | Date: 2022-11-17 (Thu) |
どうも人間は戦うのが好きで、困りますね。いえ、戦うのが好きな人間がいて、困りますね、かも知れません。そこまでして縄張り争いをいなければならないのでしょうか。
アニメもそんなに見るわけではありませんが、ガンダムはなぜリモートで戦わないのかというと、ミノフスキー粒子によってそれができないようになっているからだといった程度の興味はあります。エヴァンゲリオンでも、ガンダムでも、情報機器が普通に使えるように見えますから、もし紙とそれ用の筆記具で書ける技術が失われていたとしても、人類は文字を使うことができそうです。
一方、宇宙戦艦ヤマトだと人類滅亡が迫っていることから、人々が情報機器で文字を扱えるかどうかも、心配な状況のように思えます。
私は、紙であれ、情報機器であり、手書きするのが自然な文字使用の姿であろうと思っています。もちろん、キーボード入力もフリック入力も併用でも構いませんが、手書きで情報機器も普通に扱えるべきであろうと思います。
あくまで仮定としてですが、日常のほとんどの場面で手書きせずに文字情報が扱えるようになり、手書きの必要がなくなれば、手書きする能力を実用上、身に付ける必要はなくなります。手書きする能力をいったん失った際に、情報機器など手書きせずに文字を扱うための道具が失われたときのことを考えてみます。
おそらく、アルファベットの文化圏は、あまり苦労せずに手書きの能力を再度取り戻すことができるのではないかとイメージされます。それはハングルなども近いと推測されます。一方、漢字文化圏では、いったん失った手書きする能力を再度獲得するのは、かなりのハードルとなるのではないかと想像されます。もちろんこれまでも、歴史的には漢字廃止論もあり、そもそも負担だという見方もできるでしょうが。
学生と話をしていて、やはり書く行為としては手書きが自然な感じがする、という話になりました。それは、私たちが子どもの頃から文字のアウトプットの方法として、手書きすることをおこなってきたからなのかも知れません。(もちろん、そうでない可能性もあると思います。)しかし、手書きしなくても済む機器が、何らかの理由で使えなくなった時に生ずるハードルの大きさは、日本人にとって大きいということも、意識して置きたいと思います。
今日はいったい、何の話だろうと思いつつ。