2002.08-2003.12 押木秀樹
Backひらがなの「そ」の字形について、3件ほど質問をいただき、そのつど返事を書いていましたが、それらをまとめておくことにしました。1件はテレビ局からの質問であり、2件はお子さんの指導に関する質問でした。
質問はいずれも、「そ」を一筆で書くか、二筆で書くか、いいかえれば、最初の点と次の左下への線とをつなげて書くかどうかという問題です。具体的には、「二筆で書いたら間違いなのか?」という疑問に置き換えても良いかも知れません。 ここでは、
なお、関連するひらがなに関する問題について、以下もご参照いただけるとわかりやすいかと思いますので、先に書いておきます。
なお、3人の方とのやり取りを一つの文章にまとめたため、全体構成に少々無理があります。いずれ書き直したいと思いますが、とりあえず公開することにしました。
まずそれぞれの質問と、それに対するとりあえずの答えを紹介したいと思います。質問の文章については、プライバシイの問題などから、私が書き換えました。ご了承下さい。
こういった細かい点まで連絡がいくとは、放送も大変であることがわかりました。まず、このe-mailに対し、次のように考えました。
これがもし小学生対象の教育番組であれば、後述のとおり(もしくは先に紹介した2つのページに書いたとおり)、「いろいろな形があって混乱してしまわないようにするため、(教科書で一般に用いられる)統一された形<つながるパターン>にしておく方が望ましい」と思います。しかし、一般向け番組の場合、私としては、<離れるパターン>が間違いであるという訂正を流す必要はないと思います。もし訂正の必要があるとすれば、テロップなどに使用するフォントの問題まで含めて考える必要もありそうです。 なぜ間違いといえないのか、年齢の問題、フォントの問題については後述したいと思います。
問題は、
直した際の教師からの指示と、該当する児童生徒の発達段階・理解度によって、この適否は異なります。
まず、「離して書くパターン」に対し、「間違っている」ではなく「使わない」という表現である点は、上記の通り配慮がなされていると思います。まったく使われていないわけではなくとも、印刷用の字形としては少数派ですから。
「つなげて書くパターンの方が一般的だから、直しましょう」という指示の方が、より正確と言えるかも知れません。
ただし、発達段階や理解度によって、許容・同じ字として認められる範囲という概念の理解が難しい場合があります。小学生などを対象とした際には、さらに限定的な表現をする可能性もありますし、大人に対しては、直す必要もないかと思います。そのあたりは、教師の判断によっているだろうと思います。
漢字については、規準となる字体と許容される範囲が、(当時の)文部省から『常用漢字表』として示されています。しかし、ひらがなについては示されていないため、上記のような一般論しかできないのが実態なのです。
とりあえず、答えを書くとすれば、「どちらも正しい」です。ただし、先に書いたように発達段階によって、答え方は変えた方が望ましいと思います。たとえばの例ですが、
漢字の場合は、常用漢字表において字体が示され、またその「字体についての解説」においていわゆる許容がある程度明確になっています。ところが、ひらがなの場合、字体についても字形についても、漢字の場合のような規準を文部科学省・文部省は示していないという問題があります。(「 ひらがなの字形はどう教えたらよいのでしょう?-「き」と「さ」の部分はつながるか?- 」にもう少し詳しく書いています。)
それでも、ひらがなの基準をということでさかのぼっていくと、明治33年「小学校令施行規則」第一号表ニにたどりついてしまいます。この表により、かなは一音一字になりました。しかし、厳密な字体・字形の基準とはいえないようです。なぜなら、現代の教科書に用いられているひらがな字形とそっくりかというと、そうもいえないからです。(この表の具体的な図版とひらがな字形についての考察は、「いま私たちが書いているひらがなの字形は、いつごろできたの?」をご参照下さい。)
以上のようなわけで、ひらがなの字体というものは公的には明確にされておらず、その字形についての基準も公的にはあきらかになっていないのです。もちろん、「れ」と書いて「これはワである」とか、「ゐ」と書いて「これはルである」とか、「阿」と書いて「これはひらがなのアである」などと言えないことは、明治33年の規則から当然のことと思います。
ですから、つながった「そ」もつながらない「そ」もいずれも、間違いであるとはいえないのです。
このことは、学校教育においても同様です。小学校で学習する<字体>および教科書で使用される漢字の<字体>は、2003年度現在において、「小学校学習指導要領」において同「学年別漢字配当表」の字体とすることになっています。それに対して、ひらがなについては、基準とすべきものが示されていません。
これでは、小学校の先生も困ってしまいかねません。といいますのは、もともとの理解力の発達と文字の使用が進んだ段階であれば、「どちらでも良い」という話で簡単に済ませることができるでしょう。しかし、習い始めの子どもたちにとっては、「とりあえずどう書けば良いのか」ということが重要であり、曖昧な内容ではなかなか学習が進まないのです。近年では、小学校入学以前にひらがなくらいは書けるものの、読みやすさなどという点で問題があるため、より適した形への指導に、先生方は苦労していらっしゃるようです。「いいじゃん、なんでダメなの?」といわれても、そのままの字形を大人になっても書き続けたら、かなり問題な字形もあるわけです。
もし小学校1年生を担当した先生の「そ」と、2年生を担当した先生の「そ」とが異なっていたら、混乱してしまう子どももいることでしょう。また、教科書や練習帳も同様に考えられます。
根拠にはなりませんが、話の流れから、小学校の教科書についてかくにんしておきましょう。
現代の状況から考えますと、(すべての教科書を丹念に調べたわけではありませんが)、ほとんどの教科書に用いられている印刷用字形の場合、「そ」の上部はつながった形になっていると思います。そのことは、手で書くことを学習する、書写の教科書においても同様です。
このことから、どちらかで指導しないと混乱してしまう段階においては、とりあえず「つながった形」の「そ」を指導・学習しておくことが無難だと言えるでしょう。
答えがわかればそれでよいのでしょうか。私としては、かしこい教師・かしこい学習者・かしこい親・かしこい文字を書く人であって欲しいと願っています。そのためには、少し背景となる考え方にも耳を傾けていただけたらと思います。
これを考えるためには、「そ」にはなぜ離れた形とつながった形とがあるのかを考えておく方がよいかも知れません。(もうここまで読んだら、後の予想はついている、、ようでしたら、問題はありません! ^_^)
一般に知られているとおり、ひらがなは漢字の字形を元にしてできています。 ひらがなの「そ」という字は、どんな漢字を元に作られているのでしょうか。 「曽」という字が元です。カタカナの「ソ」は、下の方が全部省略された形と いえるでしょう。ひらがなの方は少しわかりにくいのですが、「曽」の草書から できています。ひらがなの場合も「曽」の上部の2点が、今回問題になっている つながるかつながらないかという部分であることがわかります。
この図のうち、上の枠で囲んであるのは、中国で漢字として書かれた「曽」です。囲まれていないものが、日本において平安期後期までに見られる仮名としての「そ」です。後半になってくると、現代の私たちでも間違いなく「そ」と読めそうですが、この時点で該当箇所はつながったりつながらなかったりしている様子がうかがえます。(最後の部分が、逆に反っていたりするのも興味深いかも知れません。)
字を書くことを運動として考えた場合、できるだけ運動が少ない方が楽なはずです。そのことは水平方向の運動だけではなく、上下方向の運動も同様に考えることができます。とすれば、字を書くときに、できるだけ筆記具を小さくあげたり下げたりして、続けて書いてしまえば、より運動が少ないことになります。ただし、極端にすると、点画と点画、部分と部分、さらに字と字とを分けて捉えることが難しくなり、読みにくくなります。ですから、ある程度上下させながら書いていく必要が生じます。
その上下動の大きさは、1人1人で異なるはずですし、同じ人でも急いで書くときとそうでないときで変わるでしょう。もちろん、1人1人で異なってはいけない箇所もあり、それが漢字の画数などの関わってきます。しかし、つながってもつながらなくても読むときに支障がなければ、異なっても問題は起こりません。そういう箇所が今回問題になっているひらがなのつながるかつながらないかの問題の箇所といえるでしょう。教科書体や、小学校教科書の手書きの「そ」の場合、つながっていても、かなり細い線で(うまく表現できませんがはねのような連続で)書かれているのは、そのためです。
ひらがなの「そ」についていえば、どちらでも読む際に問題がないとすれば上下動を少なくした方が書きやすいといえるかも知れなません。ただし、印刷用の字形については、書きやすさは関わりませんので、読みやすくデザイン的に望ましい形がよいだろうと思います。
そして、その人が書きやすい書き方が良いわけですから、離して書いた方が書きやすいという人は、当然、離して書けば良いわけです。
私たちの回りの人たちで、「そ」という字を書いている場合、つながっている場合と離れている場合のどちらが多いでしょうか? つながっている場合が多そうに思いますが、もしかすると、年齢にもよるのではないかと思います。今ここにいる学生に聞いてみても、離れている場合が多いのは、若い世代だという意見と、いや年輩の人だという意見と分かれてしまいます。この辺りは実際に調べてみたいところです。とりあえず話を進めることにします。
先に、印刷用の字形については、書きやすさは関わりませんので、読みやすくデザイン的に望ましい形がよいだろうと書きました。 印刷用字形の「そ」はどうなっているでしょうか。
明朝体・教科書体・毛筆系書体・丸ゴシック・角ゴシックと、つながるパターンでデザインされていることがわかります。先の先生の発言に関して「離れるパターンは使われない」と認識されていることも、何となく理解できそうです。
ただし、毛筆系書体の場合は、かなり細くなっています。そして、最後の例は完全に離れています。
> ポップ体と「Gungsuh」という読み方すらわからない字体のみがカタカナのソのように > ひらがなの「そ」を書き始めていました。
と、いったように、調べてくださった方もいらっしゃいます。ポップ系のフォントの場合は、離れるパターンが多くみられます。またいわゆる丸文字系もこの傾向があります。ですから、若い人たちは学校で習ったのと違うちょっとおしゃれな感覚で、離れた「そ」を用いている可能性が考えられます。
では逆に、年輩の人の方が離れた形を用いているというイメージはどこから来るのでしょうか?
もともと私たちが用いてきた漢字やひらがなの字形は、手で書かれることを主として発達し、読みやすさと書きやすさとのバランスの中で、その時々において、違った形として書かれてきました。そして、ある程度の差があっても、それらを同一の文字として読んできました。これは漢字でも同じことです。たとえば、「崎」という字の右上の部分について、「大」と書くのが普通ですが、山崎さんという人が「うちの崎は、立つである」すなわち「立」の下に口と縦画がくる形だということがあります。これについて、たとえば明治生まれの、きちんと文字が書ける人は、その理由を知っていて仮に戸籍がどちらであっても、一方が正字であり一方がいわゆる俗字であるだけでどちらも同じ字であることを理解していたといいます。他の字では、たとえば尊敬の尊という字の上の部分を、カタカナの「ソ」が一般的ですが、漢字の「八」の字のように書く人とがいます。これもまったく同じであって、文章中で使われる場合には意味的にこだわる必要はないはずなのです。少なくとも中国において千七百年ほど前から、どちらも同様に用いられています。
とすると、年輩の人がはなした形で「そ」を書くイメージを持つのは、昔は離して形で書いたということではなく、離してもつなげてもまったく同じ字であるという認識の元に、書かれていた名残?といった方がよいかと思います。
たとえば、明治期のひらがな字形は、今よりもっと多くいろいろな箇所がつながって いたのです。(この点についても、「いま私たちが書いているひらがなの字形は、いつごろできたの?」をご参照下さい。)
単に個人の書き癖の問題でなく、印刷用字形との関係で同様に考えることのできるひらがなの字は、「そ」の他にも、
しかし、なぜこのようなことにこだわるようになってしまったのでしょうか?
あくまで推測でしかありませんが、戦後、当用漢字表・同字体表や常用漢字表が文部省から出され、それに会わせた指導がなされてきました。当時の小学校の先生方は、これらをしっかり踏まえた指導をしてきたはずです。だから、ひらがなの形や、とめ・はねなどの問題についても、気にする人は非常に多いといえましょう。そのこと自体は悪いことではなく、社会的に統一された読みやすい字の普及に一役かっていると思います。しかし、気にしすぎる人がいる一方、それに反発を覚える人がいるのも事実かと思います。
残念なことながら、これらの規準に添えられた、理解しておくべき部分、たとえば「字体についての解説」やその字体の持つ意味、実際に手で書くときの運用などについては、あまり<勉強>されずにきたという問題があるように思えてなりません。
小学校の先生方がそれらの勉強サボってきたのでしょうか? いえ、私はそうではないと思います。たとえば教員養成の大学において、漢字の構造である字体について研究し教える国語学の先生もいたはずです。また、書くときの技能を教える習字(後には書写)・書道の先生もいたはずです。しかし、文字を書くときのことそのものを研究し、知識として教員になる若者達に教える教師が、極めて少なかったということではないかと私は思うのです。
一般の人は、以上のように、ゆとりを持って考えてよいと思います。ただし、別の文章でも述べているとおり、許容という概念や字形のゆれについて理解できない子どもたちを相手にする小学校教師の場合は、一方に統一することが望ましい、現在ではつながった形が一般的ですので、そちらが望ましいといえそうです。
そういう意味では、私が1人でそのことを述べてもなかなか世の中変わっていかないわけですけれども、賢い消費者であることが望ましいのと同様に、子どもたちに教える先生方も子どもたちを持つ親たちも、子どもたちも、賢い指導者・賢い親たち・賢い学習者であって欲しいと願います。そして賢い字を書く人になってほしいと思うのです。
> 手書き文字ではなく、活字についての質問になってしまいますが、ポップ体および > 「Gungsuh」の成立の経緯もご存知でしたら、あわせて教えていただければ幸いです。 いま、研究室の本を調べてみたのですが、タイポスなどの成り立ちについて 書かれた本はあるのですが、ポップなどについて書かれた本が見つかりません。 ただ、DTP Worldを出しているワークスコーポレーションのデザインブックを みても、離れている「そ」は、 じゅん タカハンド フォーク 小町 ひまわり ハッピー キャピー マリア ローズ レゲエ カミーユ ロックンロール (以下略) たくさんありそうです。 このあたりは、FontMLなどの方が情報があるかも知れません。