いま私たちが書いているひらがなの字形は、いつごろできたの?
2001.09.07
押木秀樹
Back
ひらがなの字形について、質問をいただきました。
いま私たちが書いているひらがなの字形は、いつごろできたの?というご質問です。
ただし、平安後期に成立したというような話でないようで、ごくごく近い近代についての質問です。
「一般に用いられているひらがなの字体・字形は、何に基づいているのか」というご質問、了解いたしました。歴史に関しては、特に苦手とするところでして、あまり有効なことが書けませんが、とりあえずのものを送らせていただきます。
- 手元の資料から考察したものが以下になります。十分な検討を経ていませんので、誤りがあるかも知れませんが、一つの考察としてご理解を、またお許しを願います。
- 江戸期の一般のひらがなについては、御家流という書き方で、現代のひらがなというには、違和感を感じます。これであれば、平安中期から後期にかけてのひらがな、その連綿をとったものの方が、逆に現代のひらがなの字形と近いと感じられるのではないでしょうか。とすると、ふり返るのは明治期からということになりそうです。(墨別冊『かな百科』/芸術新聞社 など)
- 印刷という視点から明治期の新聞を見ると、初期の仮名書き新聞などでは、まだ江戸期の御家流風の書き方がされています。また当時の新聞を見ると、漢字片仮名混じりの部分なども見受けられますが、こちらの研究室で見ることのできる明治36年の東京日日新聞に使われているひらがなの字形は、かなり違和感がないものとなっています。(『組版原論』/太田出版 など)
- 教育という視点から、教科書をみると、明治19年の『讀書入門』(文部省)では現代のひらがなとしてみて違和感がないのですが、まだ「え」「お」などあれと思われることでしょう。また、明治29年『高等小学校習字帖』(育英社書店)などには、まだ御家流風のひらがなが残っています。読むという目的が入った場合と、書く目的のみの場合とで差があったのかも知れません。
一方、国定第一期といわれる明治37年の『尋常小學書キ方手本』を見ると、書くという目的でもすっかり現代に近いひらがなの字形になっています。教育の視点からは、この国定第一期のひらがな字形が一つのキーになりそうに思います。ちなみにこの教科書は、日高秩父という人が書いています。(『書写書道教育史資料』第二巻 教科書史 / 東京法令 など)
- この明治30年代について、教育という視点からは、明確なことがあります。それは、明治33年「小学校令施行規則」第一章 第一節 第十六条において、「小学校ニ於イテ教授ニ用フル仮名及其ノ字体ハ第一号表ニ(後略)」(字体は旧字体です)として、ひらがな・カタカナの字体が定められていることです。この時、かなは一音一字になっているのです。常用漢字表で漢字の字体が示され、学習指導要領において学年別漢字配当表が示されているのに対し、かなの字体が示されていないことについては論文で書いたとおりですが、明治までさかのぼると、その字体を示したものがあることがわかります。この「小学校令施行規則」の「第一号表」の画像を、末尾に添付します。しかし、これが現代の教科書に用いられているひらがな字形とそっくりかというと、そうもいえないようです。(『書写書道教育史資料』第三巻 教育課程史・参考資料 / 東京法令 など)
- 教育と印刷両面から、教科書体とともに用いられるひらがな字形について書きます。論文でも触れている中村は、昭和10年、井上千圃の書いた教科書体の粗形的な文字が用いられた『尋常小学読本』の例をあげています。このひらがな字形は、現代の字形に近いものになっています。同じく、教科書体用かなについての例として、飯島春敬(昭和40年、東京書籍)、続木故山(昭和40年、光村図書)などがあげられており、その後の変更などがあるものの、ほぼこの段階で教科書用かな字形は現在と同じであったことがわかります。(中村紀久二「教科書の編纂・発行等教科書制度の変遷に関する調査研究」/平成7〜8年度科研費研究成果報告書 より)
- あまりはっきりしたものでなくて、申し訳ありませんが、とりあえず手元の資料からわかる範囲で書かせていただきました。
※2006.12まで、以下に明治33年「小学校令施行規則」の「第一号表」を大きく掲載しておりましたが、問題があり得ることがわかりましたので、参考までに小さい画像を載せるに留めさせていただきました。