■
手書きの立場から見たタブレットPCなど |
Date: 2004-9-23 (Thu.) |
> タブレットPCや、デジタルペン、手書きLinkなど、デジタル機器でも手書きされた
> ものを扱えるようにする製品がでていますが、文字を手書きする立場から考えると
> これらをどう思いますか?
というご質問をいただきました。
確かに、図のようなものを手軽に書いたり、それに注釈を加えるなどの作業は、(少なくとも私の場合)紙に手書き・手描きした方が良い感じです。主として、手軽さと柔軟性がその理由かと思います。だとすれば、デジタル機器でも同様にそれらの作業がおこなえるようにならなければ、デジタル機器は紙にとって変わることはできないだろうと思います。
ただし、このような点は、私のような立場にあらずとも、思いつくことではないかと思います。
その方向で案外思いつく人が少ないのは、手で書かれた文字に内在する、「コミュニケーションにおける非言語的要素」の問題ではないかと思っています。(参照:「文字は手で書かなくても良くなるか?(1)(2)」/東書Eネット,2004)
対面してのコミュニケーションでは、言語に加え、表情や手振り・身振り、そして声の調子などを使っているはずです。電話等の音声によるコミュニケーションでは、表情や身振りはわかりませんが、音声情報を用いて伝達がおこなわれます。文字による場合、手で書かれた手紙は気持ちが伝わるなどといわれますが、そこにも、何らかの「非言語的なコミュニケーション要素」があるのではないかとする仮説(今のところあくまで仮説)です。
e-mailでは、:-> ^_^などの絵文字を、(大人でも)使います。それは、e-mailが電話の代替的な要素が大きいからとも考えられますが、一方、プライベートレターは必ず手書きするという欧米での習慣などから、手書き文字から欠落する要素を補おうとする行動としてスタートした一面もあるとは考えられないでしょうか。
お母さんの声が聞こえてくるだけで、小さな子どもがほっとするように、手で書かれた文字からも何らかの要素を感じ取っているのではないか。
紙に自由に書いて描いて表現できるというのは、人間が作り上げた文明の一つだと思います。コンピュータ上でもそれが実現できるように動くのは当然だと思います。それに加えて、肉筆と同じというわけにはいかないとしても、上記のような要素が手書きツールで伝わるという部分があるのではないかと思うのです。
- このページの内容について著作権は放棄していません。使用の際は、必ず「著者名:押木秀樹」と「出典:www.shosha.kokugo.juen.ac.jp」「年月日:本ページ上部に掲示」を明記して下さい。
[前頁]
[次頁]
トップ
検索
(管理用)