星野富弘氏の作品における字の魅力 Date: 2006-09-22 (Fri) 
 文字におけるパラランゲージ、コミュニケーションコードに関して興味がある私としては、先に書いた相田みつをとともに、星野富弘氏の文字が気になっていました。相田みつをと星野富弘氏とでは、その方向性や意図も違うわけですが、先の二つの要素を読み解く鍵の一つであるように思われるのです。

 そのようなわけで、先日、富弘美術館にいってきました。私は美術評論家でも、書の評論家でもありませんので、普通に、普通の参観者として美術館を見てきました。ただ、ミュージアムショップにて、教えていただきたいことがあって質問した際、(学芸員の方はお留守でしたが)ショップの方がとても真摯に、丁寧に対応して下さったことに、好感をもったことを書き添えておきたいと思います。

 美術館を訪ねて、感じたことの要点は、以下の通りです。

  ・星野富弘氏の文字に関する評論・研究等は、現状において
   公開されたものはない(らしい)こと。
  ・星野富弘氏の文字におけるパラランゲージ的要素が、その
   作品の魅力の一つであることは、直感的に確かであろうと
   いうこと。
  ・1990年代以降(?)に見られる行のゆれや、散らし書き的
   方向性は、必ずしも魅力を増すとは限らないように思われ
   ること。
  ・その理由の一つとして、文字の中の空間が魅力になっていて、
   その魅力を発揮するためには、十分な行間もしくは行として
   の見え方が必要なのではないか感じられること。
  ・具体的な部分をあげるならば、偏旁構造の文字において相譲的
   な構造ではなく、相避的な構造を持ちながら、それでいて左右が
   響きあうような字形として魅力になっている。おそらく、これが
   横書きであったら、かなり違う印象となるであろうこと。
  ・星野富弘氏の字形の特徴は、おそらく負傷を原因としたもの
  (口で書いているためなど)ではなく、氏のもともとの感性によ
   るところが大きいのではないかということ。これについては、
   負傷以前の大学時代に萩原朔太郎の「広瀬川」の詩を書き写した
   ものが展示されていて、その比較から感じられる。(『試みの自
   画像』p.77に掲載されている。)
  ・ただし、その字形特徴が良い形で表現されている背景として、氏
   の人生の経験や宗教的意識などが(絵やことばと同様に)あるの
   ではないかと推測されること。

 分析屋?の私ではありますが、直感的印象ばかりで、はずれていることも多いかとは思います。しかし、生の作品を拝見しての印象として大事にしたいと思い、ここに記しておこうと思いました。上記の説明の例として、また単純に紹介したいがために、図版を使いたいですが、(著作権の問題がありますので)富弘美術館のwebなどからご覧下さい。
 出かけてみて、単純に良かったです。お薦めします!

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