芸術を育てる・教育につぎ込む〜金森穣氏の講演を聴いて〜 Date: 2004-09-01 (Wed) 
 5/6(木)、上越教育大学時枝研究室の運営により、金森穣「未来の表現者を育てる人たちへのメッセージ」という講演会が開かれたので、聞きに行った。
 何もなくても聞きに行ったかも知れないし、聞きに行かなかったかも知れない。というのは、今回、頼まれてステージ上の看板の字を書いたご縁があったので、ともかくも聞きにいった。

 金森氏は、舞踏家・演出振付家としてヨーロッパでも評価の高い人だそうだ。現在、新潟のりゅーとぴあ舞踊部門芸術監督であり、日本では数少ない公的な資金的バックを持った芸術家といえるようだ。講演は、時枝氏との対談形式で進められ、その自然な語り口は非常に好感が持てた。以下、聞いていて思ったことなどを記したい。

地方という問題について

「どうして新潟なのか?」という質問に対し、
   地方の時代とか、地方発の…などと言われるが、それを特に意識すること
   はない。よいものを作るだけ。他の町へも持って行くし。
という趣旨の返答があった。
 私たちの場合、研究はインターネットが使えるので、地方にいても問題がない状況となった。インターネットさえあれば、どこにいても研究成果の発信場所としての差はなく、その点では大いに助かっている。
 しかし、生身のものについては、距離が問題になる。舞踏の場合もそういう問題があるのではないかと感じた。金森氏のレベルになれば、全国で公演できるので問題ないということか。書の場合、インターネットを介してデジタルデータとして見ても、生で見る迫力・質感には遠く及ばない。その点では、まだまだ発信場所としての制約があるように思う。
 ちなみに、今回の看板も廊下で書いたが、廊下では迫力もちょうど良いくらいに感じられたものが、講堂では弱々しく見える。生で見ないとダメなのだ。


劇場が人を育てない日本という点について

   自分たちでチケットを売って、、暮らしをどうするか考えて、、という
   状況の日本と、劇場が人を育てているヨーロッパ。

という点についての言及があった。ヨーロッパの伝統として、かつては貴族的な階級の人々が、現代では公的機関が文化の担い手を支えていることが、氏のヨーロッパでの体験の話からよくわかった。
 大学は予算がでて、学生を育てているのと同時に、学問・文化の担い手である教員も育てている。ただし、近年の実利的な指向性は、それを止めてしまう危険性を持っていることを聞きながら、強く思った。
 日本はこれまで、学問・教育という点に対しては、比較的良い状態だったのかも知れない。一方、芸術などの文化面において、かつて日本も金銭的に余裕のある人々が、援助をしてきた歴史がある。しかし、それが現代においては、ヨーロッパがそうであったように、公的な援助に切り替わってこなかった。日本の文化はどうなるのだろうか、そして、これから先は自由な学問・教育もどうなるのだろうか。

 ちなみにうちの大学には、専用の書道教室がないので、看板は廊下で書いた。会場で自分の書いた看板をみて、もっと表現的要素を強めても良いなと思ったのは、自分の技量の低さもあるが、多少環境の問題があるかも知れない。日本の文化という前に、自分の足下からということか^^;; やっぱり日本は貧しいということか^^;;;;


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