個人的感想「国語教育の改善充実について」 Date: 2005-11-25 (Fri) 
 文部科学省のwebページでは、「教育課程部会 国語専門部会(第7回)」の資料が提示されています。
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/011/05112901.htm
 これを見ての極めて個人的な感想を書いてみたいと思います。あくまで思いつきレベルなので、無責任うんぬんはご勘弁下さい。また、何回かに分けて書いたため、文末表現が不統一なのもお許しを。

 まず、主として参考にするのは以下になります。

 「音読は脳科学からの研究からも大事だとされている。」1とある。こういった先進の研究成果をぜひ反映していって欲しいと思う。一方で、研究がされていない領域についての比率を低くするのも危険ではないだろうか。「例えば音読でございますとか、暗記とか暗唱が知識・技能の習得という面では留意していく必要があるのではないかというご意見」2 という音声言語と、文字言語とを同様に扱っていく必要があるとはいえないか。
 たとえば、<資料7>について
  ○表現力・理解力の基礎となる知識・理解・技能(現行の言語事項に相当)
   〈例〉
   ・常用漢字の大体が読め,そのうちの字程度の漢字が書けること。1,000
   ・聞きやすい速度や音量,適切な間の取り方で話せること。
   ・調和のとれた文字を,正しく・読みやすく・速く書けること。
この部分は、わかりやすくて良いと思う一方、
  ○表現したり理解したりするための基本的な知識・技能
   (中略)
   文学や言語文化に親しみ,創作したり演じたりするために,音読・朗読,読書,
   鑑賞,創作などができること。

ここになると、いきなり音声言語中心になるのは、一体なぜなのだろう? 
 「美しい日本語、奥深い文化に触れさせ、日本の伝統などについて考えさせることが大切。」1とある。美しい日本語を、手で書き味わうといった活動の導入も重要ではないだろうか。

 そのことは、コミュニケーションについても、表れていないだろうか。「表情、身振り、間といった手がかりが伝える場面では重要」1。非言語まで含めたコミュニケーションの学習という視点。また「伝え合う力の育成に向けた取組が,徐々にではあるが確実に行われてきている。」9といった場合も、対話や討論という音声言語のコミュニケーションに偏っているともいえそうである。音声言語のみでなく、文字言語でもコミュニケーションの視点が必要なのではないだろうか。
 「パソコンなどの文字環境が,書き文字に与える影響は大きい。」9 実は、情報機器によるコミュニケーションは、手で書く文字の意味、特にパラランゲージの要素をはっきりとさせるのではないか。欧米において認められ、日本において曖昧であった、その使い分けの意図を明らかにしておくことが、次の学習に求められているように思う。「国語(言葉)は,人間関係を作っていく上で大切な要素」9なのだから! ぜひ「生活を通した身近な文脈や体験を共有する人とのやりとりから」9、文字言語によるコミュニケーションの学習を取り入れて欲しいものである。「書くことの学習では,相手意識や目的意識を明確にした文章を書かせる必要がある」9 当然のことだが、うっかりしやすいことかも知れない。文字言語によるコミュニケーションの意識は、大切なはず。

 コミュニケーションと関連して、メディアの問題がある。「メディアリテラシーということを検討していくことが必要なのではないか」2については、新しいメディアの着目とともに、従来からのメディアの価値や位置づけも含めた学習内容としていくとが重要だと考える。紙というメディアもそうであるし、メディアという範囲を超えるであろうが、対面によるコミュニケーションや情報伝達まで含めて、情報のやり取りを考えることが、次の時代の学習として必要なのではないかと思う。

 以下は、書写に関係しての感想をランダムに並べておく。

 「言葉は暗記であり…」1とある。「基礎・基本としての「型」」9、個性・個人性の重視とのバランスが重要であり、その意味で書写における学習活動は、国語全体と比べてもわかりやすいものである。そのバランスを今後は示していくべきではないだろうか。

 「現在の書写の評価は、書かれた結果を評価しているが、書かれる過程を重視する方向にしていく必要がある。」1とも。確かに、脳とからだの不可分の関係がいわれる今日、からだの動きとしての面をきちんと捉えていくことが大切だと思う。

 「書写は国語と異質の学習内容を持っていると思われがちで,お手本と同じように書けばよいとする技能偏重が多く,知識・理解の部分が欠けていた。」「書写の授業の実態として、お手本と同じように書くということに目標が置かれているために、本来の学習指導要領上の目標が非常に希薄になっているのではないか。」「 書写と書写以外の言語事項を融和して、その中で漢字を教材として取り上げながら、書写のほうの原理原則の仕組みも含めて指導ができるような形にできないか。」「書写の最終的な目標は手紙とかノートを書くとかポスターを書くとか力をつけることであり、その上で「この学年では何を指導したらいいか」という体系的なものを構築していく必要がある。」9。そのとおりだと思う。
 「指導のねらいや目標を明確にすることは,評価の観点や方法を明確にすることであり,それがチェックリストのような形で教える側,学ぶ側,それぞれに共有されていることが大切である。」9 書写においても、同様だと思う。

 「ノートの取り方でも,自分の言葉で書いたり,視覚的に工夫して書いたほうが,試験の成績に表れたり,レポートの内容も論理的にまとめている。」9 この部分についても、書写が関わるべき部分ではないだろうか。

 「書写は芸術としての書道と日常的な文章の記録ということとのすみ分けが現場では不鮮明ではないか。」9。実態把握としてはそのとおりだと思うだが、次の教育を考える視点としては、「すみ分け」という単純な発想で良いのだろうか。書字行為に関する意識を高めるべきではないかというのが、率直な感想です。現代の研究成果を生かしていくべきではないかと感じました。


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