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手書きの価値は、実用にないのか? |
Date: 2024-04-10 (Wed) |
先の文章で、萱先生の論考と異なること、、のような書き方をしました。誤解を招かないようしたいのですが、基本的な方向性や述べたいことは(先の文章のとおり)同じだと思います。
萱のり子先生編著、
『学びの環流 「書くこと」を基点とした「学習者の学び」と「指導者の学び」』/三元社
では、何が違うかというと、現状認識の部分かも知れません。その箇所を、引用させていただきます。パソコンの普及と文字使用についての文章の後、「こうした時代に入り、手書きの文字には「実用」よりむしろ付加価値が求められ、そのことで逆に手書きの本来性に気付かされるようになってきていています。」とされています。
手書きの本質について意識されやすくなったということで、その点は、まったくその通りだと思います。ただ、実用よりも付加価値ということは、気をつけないといけないと思っています。
手書きは実用を失ってよい状況なのかということです。
手書きは、書きたいところに、書きたい大きさで、書きたい字形で、書きたい強さ・太さなどの特徴を持ちつつ、書くことができます。こういった特徴は、実用的ではないといえるかどうかです。
わかりやすい例でいえば、数式の入力や数式を書きながら考える時に、キーボード+マウスが良いか、手書きが良いかといった例をあげることができると思います。思いついたアイディアを書き出していくといった場合も、似たようの状況になる可能性があります。
速く入力すれば良いのなら、フリック入力が良いのかも知れません。疲れずに長時間文章等を入力し続けるならば、キーボードが良いかも知れません。
もちろん、手書きだと文字コードに変換できない、あるいは変換に手間を要する時代には、情報機器の利用において手書きは「実用」的ではなかったと思います。その点で、デメリットがなくなった現在において、手書きが実用としてはそぐわないという考え方ではいけないと思うのです。
言語の運用を長いスパンで考えたとき、私たち人間が編み出してきた文字の運用のための方法「手書き」は、そんなに簡単に置き換えられるものではないと思います。未来の言語運用のために、私は主張したいと思います。
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