萱先生『学びの環流』と手本そっくり・ことばとの関係 Date: 2024-04-10 (Wed) 
 奈良教育大学の萱のり子先生編著、
   『学びの環流 「書くこと」を基点とした「学習者の学び」と「指導者の学び」』/三元社

を読んでいます。まだ途中ですが、お薦めがてら。

 萱先生自身の論考の中に、書写書道の授業が、

  ・生きたことばの営みと切り離されがちになっていること
  ・手本とそっくりに向かいがちなこと

について問題提起されています。

 私もまったくこれらについて検討すべきであることに賛成です。萱先生や関係の先生方が、それをどう乗り越えようとしてるか、ぜひこの本を手にとっていただきたく思います。

 私自身もこれらに関することを考え、場合によっては研究してきたように思います。その方向性としては、久米公先生が指し示し、松本仁志先生らが考えて来たことかも知れません。
 言語の運用と切り離されない書写という点では、松本先生が述べている目的意識・相手機式を学習の初期の段階から持つことと関わっているはずです。この部分の不足が、子供たちが書く字が薄いという問題も関係していると考えます。
 手本とそっくりを指向しないという点では、久米先生らが提唱し始めた(ですよね!?)、学習者が課題を認識し解決するための方策を学び、自身の字を変えていく書写の学習過程がそれにあたります。ただ、この考え方が提唱され始めて30年以上がたつと思いますが、現場で十分に認識されているかというと疑問が残ります。もちろん、それ以外の更によい方策があってのことであれば良いのですが、そうではなく単に浸透していないだけに思われます。
 そして、けっしてそれだけが良いということはないはずで、「手本そっくり」で終わらない、手本そっくりの指向性ではない書写のために、様々な取り組みが期待されるわけです。

 あ、些末なことかも知れませんが、そうとも言えない部分で、萱先生と意見が異なる部分があります。それはまた別項で書きたいと思います。

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