2005 ゼミ旅行(奈良・京都)

2005.11.19-20  東大寺・奈良国立博物館・錦光園・三十三間堂・京都国立博物館・藤井有鄰館

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はじめに

 私どものゼミ旅行は、東京と関西とに隔年で出かけています。時々、顔ぶれによっては、別の場所へ旅行することもあります。本年度は、2年ぶりの関西へのゼミ旅行です。参加者は、ゼミ生7名に、OBの1名+教員となりました。以下、その様子をご紹介します。
 なお、この研修旅行は、実践セミナー・実践場面分析演習という授業の一部としても位置づけられており、このページはその報告の一部を用いています。


11/19 午前: 奈良国立博物館(奈良後援・東大寺)

 ゼミ旅行一日目は、夜行で到着したところから始まります。奈良に着いた時間が早かったので、奈良国立博物館へ行く前に奈良公園へ。鹿せんべいを購入し、鹿と戯れました。鹿はなかなか頭の良い動物で、売り物の鹿せんべいには手(口?)を出さず、鹿せんべいを買う観光客に目をつけて、餌をせがんでいました。  東大寺。南大門には、かの有名な仁王像(阿形像・吽行像)があり、その迫力は凄まじく、堂々たるものでした。盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)、開眼供養は752年に行われたのですが、その後たびたび損傷し、修復を重ねました。しかし、高さが15メートルほどもあり、その顔は優しく、まさに「世界を照らす仏」「光り輝く仏」という感じでした。


 さて、奈良国立博物館では、飛鳥〜鎌倉時代の彫刻と、ガンダーラ・中国・朝鮮半島の彫刻、中国古代青銅器を見ました。  ガンダーラ・中国・朝鮮半島の彫刻の中で、私が最も印象に残ったものは、ガンダーラの「石造仏伝図浮彫」です。お釈迦様が誕生する場面や、夢占いをする場面など、さまざまな場面が流れを追って彫られていました。細かい中にもいろいろなものが書かれていて、面白いものでした。当時は、身分によって生まれてくる部位が異なると信じられていたこと、そしてお釈迦様は、脇の下から生まれたということも分かり、とても興味深いものでした。  文字関係では、中国の青銅器として、酒を入れるためのものなど、さまざまな種類のものが数多くありました。「孫」という字が、どう見ても「子」という字より大きく、怪物のようなので、「これが孫という字だとは思えないなぁ。」と思いながら見ました。細かい模様(ラーメンの器に描かれているような渦巻きみたいなもの)が描かれているものが多く、また、とっての部分に動物を描いたりかたどったりしているものも多くありました。

<担当:寺島>

11/19 午後1:寧楽美術館

 寧楽美術館がある依水園は、かつては、半分が東大寺の境内、半分が興福寺の所有地だった。我々は美術館を見学した後に庭園を散策した。

 美術館に収蔵されているのは、「古代中国の青銅器・古鏡・古銅印、拓本類と、中国・高麗・李朝・ 日本の陶磁器、日本の絵画などの優品2千数百点」らしい。そのうち今回見ることができたのは、そのうちの65点だった。様々な青銅器には周代の文字が書かれていた。氏族標章には、「子」を上にあげている様子があったり、いろいろなパーツが組み合わさったりと、面白く感じた。また容器には模様がついており、加えて持ち手は動物の姿をしていた。多かったのは羊である(古代中国において、羊は単なる家畜ではなく、大切な供え物であり、聖なる獣でもあった)。硝子ケース越しだが、いくつもの種類の青銅器を間近に見ることができて良かった。
 拓本の中で目をひいたのは「宋拓聖教序帖」であった。これは書聖・王羲之の書であり、拓本とはいえ、実際に目にすることができて本当によかった(王羲之の肉筆は唐の太宗が自分の墓に入れてしまい、直筆は残っていない)。以前に東京の「拓本−三館同時開催による名品展」で王羲之の作品をいくつか目にすることができたが、そのときはまだ知識も浅く、今回改めて目にし、その優雅さのようなものを微かではあったが感じることができたような気がする。この美術館には、趙子昂の「宋拓化度寺碑帖跋文」もあった。


 美術館の後で、依水園に行った。パンフレットによると、依水園は明治期を代表する庭として、昭和50年に国の名勝指定を受けている。入ると、木々の紅葉が美しく、水の流れの穏やかさが心を静めてくれた。少し離れた東大寺では多くの人で活気があったが、ここは静寂に包まれており、ゆったりとした時間を過ごすことができた。

<担当:永井>

11/19 午後2: 錦光園〜世界に一つだけの墨〜

 今回のゼミ旅行で、私が最も思い出深いのは、錦光園でのにぎり墨作りと工房の見学である。錦光園の外観は一見すると料亭?のようであったが、中に入ると墨の香りでいっぱいであった。

 まずは、錦光園の店主からの墨についての説明。墨の材料は松煙と言われる赤松を燃やした煤や、油煙と言われる菜種油やごま油を燃やした煤、そしてにかわである。煤の色も松煙と油煙では違っていた。また、煤の良し悪しがどのように決まるのかも教えていただいた。一通り墨についての説明を聞いた後、実際に墨を作るところ(一部)を見せていただいた。墨を作る材料には工夫がされており、初めて見るものばかりでとてもわくわくした。また錦光園の店主の手さばきがあまりにも華麗なので、ついつい見入ってしまった。墨の量や型に入れる墨の大きさがぴったりで、まさに職人芸という感じであった。型から取り出したばかりの墨が、ぐにゃっと曲がる光景が目新しく面白かった。
 店主の墨作りを見せていただいた後は、いよいよお待ちかねのにぎり墨作り!握り方を教えていただいてから、ついに一人一人の手による、世界に一つだけの墨作りである。乾燥するまであまり見ることはできないが、今から墨を飾れる日が楽しみである。

 最後に墨作りの工場を見学させていただいた。部屋の中は煤で真っ黒で、墨作りの大変さが伝わってきた。乾燥させる工程、仕上げまでの工程も見学することができた。
 錦光園は、本当に始めて知ることや初めて見るものばかりでとても勉強になった。今まで、何気なく見ていた墨であるが、職人さんが一つ一つ手作業で作ってくれていることを知った今、間違いなく墨の見方が変わりそうな気がする。本当にとても良い体験をすることができた。

<担当:田中>

11/20 午前: 三十三間堂・京都国立博物館

 二日目の朝、新大阪から京都に出て一番に三十三間堂へ行きました。三十三間堂は正しくは蓮華王院といい、平清盛が平安末期に建立したそうです。本堂内陣の柱間が三十三あるため、三十三間堂と呼ばれています。また、日本で唯一の千体観音堂であり、お堂は約120メートルもの長さです。中央に座す、巨像(中尊)の「十一面 千手千眼観世音菩薩」(国宝)を中心として左右に各500体(重文)、合計1001体が整然と並んでいます。その他に国宝である雷神と風神像、同じく国宝の観音二十八部衆がありました。千手観音像は、頭上には11のお顔をつけ、両脇には40本の手を持ち、1本の手が25種類の世界で救いの働きをし、40を25倍して「千手」を表しているそうです。
 千手観音像の拈華微笑が、なんとも言えず優しく美しかったです。お堂は造られた当時はもっと豪華な雰囲気だったと思われる説明がいくつもありましたが、私個人としては今の古いものの中にある優美さと、1001体の光り輝く仏像の織り成す空間がよいと思いました。


 三十三間堂のあとは、近くに位置する京都国立博物館へ行きました。今回は通常店に加え、特別展として「最澄と天台の国宝」を観ることができました。  平常展の13室は書跡関係の部屋で、中国・朝鮮・日本という漢字文化圏の書跡を展示しています。書跡は、古筆・黒跡・典籍・古文書など幅広い分野を含んでおり、時代的には中国・4世紀の拓本に始まり、日本の江戸時代・18世紀に至るまで、その内容と文字の美しさを大切にしているそうです。今回訪れた期間の展示内容の主なものは、新撰類林抄・稿本北山抄・継色紙・法輪寺切・日野切・藤原俊成消息・良条良経消息です。
 特別展の「最澄と天台の国宝」では、(1)天台の祖師たち(2)法華経への祈り(3)浄土への憧憬(4)天台の密教(5)天台の神と仏(6)京都の天台、の6つの領域に分けて、10室で208作品を観ることができました。書としても、「天台法華宗年分縁起」他の名品を見ることができました。
 いずれも大変貴重なものだということが伝わってきました。やはり本物に触れるということは、自分にとって大きな財産になると思いました。作品を自分の目で観るということの楽しさや素晴らしさを知った気がします。今回の旅行ではたくさんの国宝や重要文化財、さらに指定はされていなくても価値ある作品を観てきました。これらの作品は一隅であり、つくり上げた人々こそが本当の国宝なのかもしれません。

<担当:羽田>

11/20 午後: 有鄰館

 有鄰館は、京都の平安神宮の近く、何か日本の文化とは違ったものを感じさせるおもむきで立っています。入り口をくぐると、その違った雰囲気が、とても厳かなものとして感じられました。
 ここには、中国文化の結晶といえる収蔵品が多数展示してあります。それは、私たちの日本文化を形作った元となるような、私たちに繋がりの深いものでした。大型石造仏像をはじめ、中国を象徴する青銅器、陶磁器、古璽印、書蹟、絵画など、殷周以降清朝まで、四千年にわたる文化財が、建物を入ったときに感じた雰囲気と同様、厳かに陳列されていました。

 占い用の文字であり、文字の原形とされる甲骨文。銅器に鋳込まれた金文。これらの文字は、私には文字というより何かを象徴する記号に見えました。しかし、見ていると、当時人々の様子を垣間見たような気持ちになり、文字が生きる中から作られたものだということを深く感じました。  経典を石碑に刻したものも見ることができ、正始石経は古文・篆書・隷書の三つの書体で示されています。書体が並んでいることもあり、文字の変化が見て取れました。徐々に変化している文字もあれば大幅に変わっているものもあって、どのような過程を経て変化を遂げていったのか、その一部始終を見てみたいという気持ちにも駆られました。また、大きく文字が変化していることから、中国の文字が日本に伝わり、日本で使われるようになってから現代までの間にさらに大きな変化を辿ってきたのだと思うと、そこに文字の歴史が感じられるようでした。
 この他に、董其昌、王鐸など様々な書家の書や画がありました。古代から伝わっている書を目の当たりにするという経験が少ない私にとって、それらの一文字一文字が何か不思議なもののように見え、そしてとても優美なものに見えました。

 印、銭、封泥、硯、科挙試験のカンニングの衣装など、他にも様々なものが展示されてありましたが、やはり実物を見ることができたということが、わたしにとってとても貴重な経験となったようです。書写ゼミ生としてかなり未熟ながらも、書や文字の歴史という世界に少し足を踏み入れることができたような、そんな気持ちになってしまいました。

<担当:齋藤>