これまで、この質問で多く出てきた内容は次のようなものです。
それよりもっと気になるのは次のような点です。たとえば同じ質問を算数でしたらどういう答えが返ってくるでしょうか? 算数の授業で学習したこと、覚えていることをあげて下さい。私が小学校の算数で覚えているのは、最初に算数セットのような物をもらった(買った)ことです。おはじきみたいな物や定規、それから時計のおもちゃのような物が入っていてうれしかったのを覚えています。もちろん、それを使って数の数え方の学習をした事が思い出されます。さらに、足し算の勉強、その文章題、引き算・かけ算・わり算・分数・小数などもやったはずです。そして、それらの学習内容は今日常生活で見事に役立っているといえるでしょう。では、書写の学習内容がどのように役立っているといえるでしょうか?
もちろん、書き初めという行為は、私たちにとって大事な文化だと思います。しかし貴重な学校教育の時間の中で果たしてそのためだけに書写をやっていて良いのでしょうか?
書写ではどのようなことを学習すればよいのか、ということがまず問題提起の第一点目です。
書写 ・朱墨で直された ・水書板を覚えている ・服が汚れた ↓↑ 算数 ・数え方・足し算・引き算・・・ ? あまりに違いすぎないか。 ◎ とすれば、書写は何を学習しているのか! |
また、私が高校の教員をしていたとき、就職の時期になっていよいよ困って某社の通信教育を受けようか迷っている高校生がいました。もちろん通信教育で字の学習しても良いでしょう。しかし、学校教育の書写で、必要な力をつけてあげることはできないのでしょうか?! 私が指導した高校生には、まず本人の癖を指摘して知識として覚えてもらい、その後、市販の練習帳で勉強してもらいました。図に、上段で本人の癖を、下段でアドバイスした内容を示しました。
これは高校生に指導した例ですが、どこかで見覚えはないでしょうか? 実はひらがなについては小学校1年生の学習内容です。漢字の方は小学校3-4年生の学習内容です。高校生になって、小学校1年生や3年生の学習内容を覚えていないという例です。決して、この生徒だけの問題ではないのです。では、どうしたらよいのでしょうか?
◎小学校一年生で習ったことが、高校生になっても 身についていないというのは、どういうこと?! ↓ 仮に小学生の時、思った通りに書けなくても、 高校生になってその知識を生かせれば! ↓ |
1年生や3年生の時にこのように書けるかどうかは別として、ある程度の学年になれば、このくらいの知識を覚えたり、自分自身の字と見比べるなどは、とても容易なことだろうと思われます。仮に、小学校の時に上手に書けなかったとしても、こういった知識を覚えておくことで、高校生くらいになってもう一度練習し直したって良いはずです。なぜそれがおこなわれていないのでしょうか。
少なくとも、社会人になるときに学力不足にならないだけの書写指導をしなければなりませんし、中学校段階で時間が足りないのならそのための工夫も必要だと思うのです。
◎必要性に気付いた時に生かせる学習内容でありたい! ↓ それが「生きる力」ではないのか!! |
彼らは、おそらくお手本をもらってそれを元に練習したでしょう。人によってはお手本なしでも上手に書けるレベルまでいくでしょうが、そこまでいたらない人も多いだろうと思います。手本が横にあればまねをして上手に書けるはずが、テレビ番組ではお手本なしですから、どう書いたら良いかわからないという問題もあるかも知れません。きっと、小学校の頃に習ったことのある文字、たとえば「初日の出」という言葉を書いたことがあれば、その字はうまく書けるのかも知れませんね。
しかし、私たちは学校教育の中で、「初日の出」、という言葉が上手に書ける子供を育てているのでしょうか? それとももっと別の力を持った子供を育てようとしているのでしょうか? 後者だとすればいったいそれはどういう力でしょうか。これが二点目です。
お手本のまねがうまい子 の レベルで終わっていないか?! ↓ ○子どもたちの字をより良くする指導はできないか? |
皆さん自身は自分で、字が上手だと思いますか、普通だと思いますか、それとも、得意ではない方だと思いますか? 実際に聞いてみると、字が上手だと思う人は非常に少ないです。得意ではないと答える人が圧倒的に多いというのが実態です。たとえば私などが見て、かなり上手に見えても、自分では上手ではないと答えたりします。それはなぜでしょうか。アンケートなどで、自分の字について「上手である」「少し上手である」「普通である」「少し下手である」「下手である」という問いをしたとき、その答えは「下手」よりにかなり分布します。普通であれば、「普通」を中心とした正規分布をしてほしいわけですが、これはどうしたわけでしょう。もちろん謙遜しているということもあるでしょう。しかし、それだけではないように思うのです。
かなり上手に見えるにも関わらず、自分ではそう思っていない人に聞いてみると、自分の字は「お手本みたいな字」でないからという答えが返ってきたりします。しかし、よく考えてみるとお手本の字というのは、たいていの場合日本で有数の字の上手な人が、お手本として印刷するためにかなり時間をかけて全身全霊を傾けて書いている、と考えて良いはずです。とすれば、普段私たちが字を書くのに、そんなすごい字が書けっこないというのが本当のところではないでしょうか。にもかかわらず、お手本のような字が書けなくてはいけないのだという思いこみが、あきらめを生んでいるということもあるのではないでしょうか。
もちろん人によっては、いわゆるお手本レベルの字が書けることを目標にしても良いでしょうし、あこがれは学習意欲につながるはずです。しかし、多くの普通の子どもたちを対象とする学校教育において、お手本みたいな字が書けるというのが到達すべき目標だとすれば、それは酷なことのように思えるのです。劣等感を持ってしまい、向上を妨げるぐらいなら、もっと別の考え方を取るべきではないでしょうか。そう、自分自身の字を大事にして、良くないところを少し直そうといった気持ちで取り組んだらどうでしょうか。
お手本のような字が書けることが目標? 普通の人が、そのレベルを目標にしなければいけない? ↓ (少なくとも学校教育の場合) 自分自身の字を大事にして、 良くないところを直すような指導ではどう? |