毛筆の書字運動と工学的アプローチについて

2002.05.25

 たまたま同じ週に、(あまり具体的なことは書けませんが)、ある大学の教官と、別の大学の大学院生の方から、似たような質問がありました。
 簡単に書いてしまえば、毛筆を用いて書く際の書字運動を分析することにどのような意味があるのかという質問です。アイディアはあるのだが、どのように役立つかわからないという問題です。純粋な研究として、達人の動きと、素人の動きとを比較するなど、とってもおもしろそうです。しかし、それを工学系の論文とするとなると、また問題が起こるわけです。

 以下の内容は、質問を下さった修士課程の学生の方に許可を得て、掲載するものです。ただし、押木が書いている部分はほぼそのままですが、ご質問の方は改変してあります。

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> 毛筆による書字運動を測定をすることで、何を得ようとするのか。

これは、何を目的/目標とするかと関係するので、必要ですね。
特に工学的分野では、役に立つかどうか、何に役立つかという点も
関係して来るだろうと思います。

> ○書道でもどういう対象(初心者か、エキスパートか)を研究したいのか。。

これは、その目的/目標によって異なってくると思います。後述したい
と思いますが、両者の比較ということもあります。

> ○個性と品質をどのように扱うのか。(手本と違う作品を書いても評価が高い場合がある。)

#書道と手本の関係、芸術の分野に手本があるかという別の問題もありますが、
#あとを読めば少しわかってもらえると思いますので、続けます。

これもどのレベルを研究するかによって、この問題の重要性が異なって
くると思います。かなり限定的な研究にすれば、ある程度回避できる
でしょうし、本格的にやろうと思ったら、運動系ではなく、認識系の
研究からスタートしなければなりません。芸術に対する認識系の研究も
一生かかっても難しいくらいの難問かも知れません。

限定的な研究にするとすれば、先の「目的/目標」が明確でないと、
限定することすらできないと思います。
 
> 「道」という分野に工学的アプローチを加えるのは無理ではないか。

「道」とは何かによりますよね。限定的に「書道」とした場合も、
いろいろな解釈が可能だと思います。辞書などを引いて調べましたか?
かなり明確な定義として、「高等学校芸術科の教科目の一つ」というのが
ありますが、それ以外の定義は、かなり揺れていると思います。
 
また、たとえば芸術の一分野として、「書道」という言葉がどのように
使われているでしょうか。というのは、日展の第5科は「書道」でなく、
「書」です。また、大きい書道展の一つである読売書法展は、書道でなく
「書法」としています。

このような状況の中で、あえて「道」とつく「書道」というものを対象に
するとすれば、それなりの必要性が必要になってくるかと思います。

> 書道家もしくは書道教育者にとって、必要な工学的アプローチとは
> 何なのでしょう?

上記のようなわけで、「書道家」という時の「書道」の定義と、「書道教育者」
という時の「書道」の定義は、違うものである可能性もあります。「書道教育者」
には、「高等学校芸術科の教科目の一つ」の教育者である可能性と、いわゆる
書「道」の教育者である可能性があるからです。

というわけで、どの定義によるかで、必要な工学的アプローチも変わってくる
はずです。

> 工学の面から何か、システムや研究を提示しても、 書道にとって無意味では仕方ない

まず、何を扱いたいのかを考えるべきかと思います。

「道」を辞書で引いてみると、
	道路。みち。
	人の進むあり方。人の行為・生き方について規範とすべき筋。
	学問・技芸などの、専門分野。分野それぞれのやりかた。
などがあります。このなかで「分野それぞれのやりかた」に限定するもので
あるとすれば、話は早いかも知れません。ただ、それならば、あえて「道」
という混乱を招く表現にしなくても良いように思います。どうしても、「道」
をつけると、「人の行為・生き方について規範とすべき筋」というニュアンスが
加わってくるように思いますし。

表現は乱暴ですが、たとえば、
	・精神論まで含んだ「書道」
	・学校のいち芸術科目としての「書道」
	・芸術としての部分を含んだ「書」
	・学校の一領域(言語事項)としての「書写」
	・人間の行為としての「(文字)文字を書くこと」
などで、研究の目的や必要性はかなり変わってくるはずです。使う用具の問題と、
目的とをいったん切り離して考えることも、良いかも知れません。
 
> 押木先生は、書道家であり、工学的アプローチもされておられます。

硬筆で書くことが、まだ何とか実用という点と結びつけやすいのに対し、
毛筆で書くことは、かなり趣味/芸術の領域になると思います。

もともと実用性があるものについては、「その動作のメカニズムを解明する
ことで、教育/指導に役立てる」という単純な結びつきが可能だと思います。
一方、趣味/芸術の領域について、工学的な有効性ということなると、
そう簡単には行かないだろうと思います。

ただ、スポーツの場合、実用というより趣味的な領域になると思います。
そのスポーツの分野でも、動作の解析などは進められています。とすれば、
毛筆という趣味的な領域でも、同様の解析がおこなわれても、大義名分は
たつのではないかと思います。勝つための工学的支援は許されて、心を
動かすための工学的支援は許されないということはない、と思うのですが。
その難しさは別として、、、。

たとえば、うちの研究室なら「書写書道」の研究室ですので、「毛筆を用いて
書くこと」≒「書」のメカニズムを明らかにする、たとえば、
	・エキスパートと初心者との運動パターンの差を明確にすることで、
	 指導に役立てる
などというテーマにするのは、問題なさそうに思います。(これが、工学系の
研究室の場合ですと、同じように言えかどうかはわかりませんが。)

もし、根本的なところから実用的でなければならないとすると、次のようなこと
も考えられます。とりあえず、硬筆でも良ければ、たとえばですが、

・情報機器の発達により、整った字を書かなければならない場面は減少している。
・一方で、メモ等の必要性は現時点において、それほど減少していない。
・整った字を書くための研究は、これまでもなされてきている。
・メモ等のために、そこそこの読みやすさを保った上で、速く書くことの必要性
 が指摘されるが、そのための研究はこれまで少ない。
・できあがりを重視する「整った文字」のための研究は2次元の画像を分析する
 ことが主となるのに対し、速く書くための研究は、動作そのものの研究といって
 よく、動作の研究が不可欠となる。

などとすれば、書字動作の解析の意義がでてくるのではないかと思います。
仮にこれを、毛筆に結びつけるためには、

・現時点における文字を速く書くことの学習は、行書の学習と位置づけられている
 といえる。
・行書は、毛筆によって形成されてきた書体であることから、まず毛筆による
 書字動作を分析する。

という理由付けが必要になるかも知れません。

視点をかえた例として、ソフトウェアを作成するという点からすると、
次のようにも言えると思います。

・現時点において、小学校学習指導要領には、小学校3年生から中学校3年生
 について、毛筆で書写の学習をすることになっている。
・しかし、担当する教諭のすべてが、その技能に熟達しているとは限らない。
 字形の学習等、技能を伴わずにある程度指導できる学習内容については、
 よいが、技能的学習領域である以上、ある程度の技能の指導は不可欠である。
・また、熟達した教師であっても、40人近い児童・生徒に対して、十分な
 実技指導をおこなうことは難しい。
・技能に熟達していない教師の補助や、多人数に対する実技指導の補助をする
 ソフトウェアの開発は、有効であると思われる。

となるかと思います。

どうか、最初の方で書いた研究対象が何かということを十分に考えた上で、
最後の方に書いた例を参考にして、目的/目標を明確にしてください。
長い視点で知りたいこと/やりたいことと、修士の2年間で明らかにできる
こととは、違ってくる(ごく一部分になる)ことも、あり得ると思います。