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全国大学書写書道教育学会(札幌大会) 報告

 平成六年十月十二日から十四日までの三日間、札幌市のKKR札幌を会場に、「教大協全国書道教育部門会」「全国大学書写書道教育学会」「全国大学書道学会」が開催された。「教大協…」では、大学と附属学校との共同研究体制や連合大学院博士課程構想などが議論され、また「…書道学会」では岡部真理子氏の「伝西行筆『中務集』考-集中に別手を発見-」等が話題をさらった。本稿では、その三日間のうち、「…書写書道教育学会」について、報告したい。

今回の学会の口頭発表の数は、十四件にのぼった。これについて、久米理事長は、第一回の大会における発表数三件から今回の十四件までになったことを総会の挨拶の中で触れた。参加者の一人であり、第一回大会の発表者でもある筆者も感慨深いものがあった。さて、総会において、来年度の大会は山梨で開催されること、またそれに先立ち、第十回大会を記念した一般対象のシンポジウムと記念祝賀会が、八月、東京の国立教育会館において催されることとが決定した。また、書写書道教育関係の論文等を検索するためのデータベースの作成が昨年度より議論されている。これについて、当面金沢大学にデータベースセンターを置くことが決定した。まだ登録が開始されたばかりであり、本来の機能を発揮するまでには時間が必要であろうが、石川県関係として付記しておきたい。

 それでは、十四件の発表の中から幾つかを紹介してみよう。

 まず午前中の第一分科会では、比較教育研究と歴史研究に分類される研究が発表された。新井は、「小学校書写教育の指導理論に関する一考察」と題し、自分たちの実践を研究するのみでなく、中国における実践との比較により視野を広げる必要性について述べ、具体例を幾つか提示した。学習指導要領という枠の違いがあるものの、現場での実践に対しても有効な部分も含まれている。また小林は、アメリカにおける書字指導に関し、Muniscript writingやCursive writingによる指導を分析したこれまでの発表を踏まえ、「アメリカにおけるCursive writingの速書性と日本における行書の速書性」を発表した。さらに羽田は、「横書き書字に関する歴史的研究」と題して、大正期以降昭和初年までの国語国字論争のなかで仮名文字論者が唱えた横書き採用論と、当時の眼科学的見地からの横書き問題に関する研究について述べており、おもしろい。松本は、氏の一連の筆順研究として「筆順・筆順指導史に関する一考察」を発表している。明治期の筆順指導書に見られる筆順の諸根拠を踏まえ、今回は指導者サイドの視点中心の発表であった。これまでの発表も含め、「なぜこの字はこの筆順なのか?」、またそれをどう教えるかという問に答える内容である。

 午前の第二分科会では、実践研究調査報告にあたる内容が発表された。久米・須永の「小学校第一学年における書写の学習カリキュラムの改善」、町川の「コース選択学習法を導入した小学校書写授業の実践的研究」、外田の「中学校国語科書写における行書指導法の研究」はいずれも、理論や実態調査を踏まえた説得力ある実践研究であった。これらの資料は、即実践に役立つ内容も多く、是非ご一読願いたいものばかりである。また、外田の添付資料「国語科書写通信」は、三十回にわたって中学生たちに配布されたものであるが、実に楽しくまた有意義である。研究内容ばかりでなく、こういった添付資料にも着目したい。一方、一昨年度から提案されている書字学(仮称)に類するものとして、金沢大学卒業の出雲崎が「ひらがな学習時に規範とされる字形と実使用時の字形との差異」を発表した。輪島市内の小・中・高校生を対象に、子どもたちのひらがな字形の実態を調査したもので、私的な場面と公的な場面・学年・男女でひらがな字形の差異を調べ、字形の単純化・横書き書字による変形の可能性を示した。基礎的な内容であるが、将来につながるものといえよう。

 午後は、一会場に参加者が集合しての研究発表となった。鈴木は「戦後の小学校国語科書き方における行書教材の考察」を発表した。戦後初めて発行された検定済み小学校国語科書きかた教科書を主対象に、その行書教材に着目し、教科書の編纂主旨・指導内容・教材の設計意図・系統性を探ることで、この期の書き方・習字教育を解釈した。また、小竹は「書字・読字における漢字仮名交じり文の有効性について(一)」を発表した。高度情報化社会において、人間による書字・読字をどのように位置づけ、どう対処するかと言った大局的な視点に立ち、漢字仮名交じり文の有効性を、右手による書字、左横書き・右縦書き等から述べている。今後、この分野の研究に興味を持つ若者たちに大きな示唆を与える内容であったと言えよう。以上がその大まかな内容である。


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