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書写書道教育の未来(提言)

富山県書き初め大会記念誌『四十年の歩み』原稿−

 40周年のお祝いを申し上げると共に、書写書道教育の未来について、子どもたちの実態を踏まえた教育実践と、情報化・国際化という両面から考えてみたい。

 全書研長野大会における久米氏の講演は、この40年あまりの間単元学習そして学習内容の系統化などの流れがみられたものの未だ不十分であり、単元学習から系統性を踏まえた総合学習を、という提言と理解できる。一方、中学生らの「書写は筆の字がうまい子だけがやればよい」といった意見や、うまくなりたいという気持ちは小学校6年間を通して高いにも関わらず、書写が楽しいという気持ちは高学年になって減少するという実態もある。苦手な子をいかに救うか、楽しい授業を心がけることはもちろんであるが、理解と実技のバランスと、日常に生きる書写指導であるためにはどうあるべきかという二点が重要になるであろうと私は考えている。たとえその時間内に十分な向上がなされなくとも、「なるほど。そう書けば、整うのか!」というわかる喜びも大切であろう。また、書写と他の学習・生活とをいかに融合させるかも、総合的な学習の中で考えていかねばならない。高校書道において、漢字仮名交じりの書が重視されているが、手本絶対の考え方からの脱皮というだけではなく、子どもたち自身が書く文字を基盤とした学習への方向性と言い換えることができる。

 一方、情報化・国際化のいっそうの進展によって、手で字を書くという文化の一貫性および変化を踏まえる必要があろう。たとえば留学生らは、日本は字を書くことを大切にする国だと聞いていたのに、親や友達への手紙・年賀状さえワープロを使うという実態にがっかりするという。国際的な、印字機器と手書きとの使い分け文化は、その子自身の文字からスタートする書写指導、個性尊重につながると思われる。また、国際化にともなって日本人もサインが必要になることを考えると、積極的な個性表現も課題となるかも知れない。さらにパソコン等の普及により、手で書く場面も変化し、入門期においてはゆっくり整えて書く、その後実用的な速度でもある程度読みやすい字が書ける指導、行書指導の重視などが重要となるかも知れない。国際社会における日本の文化の重視、印字機器により均一的な文字が多くなる中で、書芸術の貴重さが際だってくることも予想される。生涯教育の基盤として、学校教育における体験は不可欠なものであり、我々教師の責任の重さは変わらない。

(1998.11.12)

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