O先生への書簡

―私の研究観、学際性・アカデミズム・混沌と整然―

O先生へ

 **展では、ご丁寧な解説、そしてその後のお話、心よりお礼申し上げます。またお話の途中で失礼せざるを得ず、どうぞお許しください。なお、その折にお話しできなかったことにつきまして、以下記させていただきたく存じます。

 当方の学生(4年生ですが、まだまだ不勉強です)に、先生のお話−特に龍門の拓のこと−を聞かせてやれたらと思っております。もし、先生のご都合のよろしい時期がございましたら、なにとぞよろしくお願い申しあげたく思います。

 先生とのお話の中で、(研究を公開する場面の)官民の問題、学会のアカデミズムの問題がでました。この点につきまして、私の考えを記させていただきます。なお、自分の立場も考えず失礼なことも書くかも知れませんが、もちろん自分の考えを他の方に押しつけるつもりもありません。ただ如何に立派な目上の方に対しても、自分の考えを偽りなく正直に述べることだけはしておきたいという気持ちからでございます。


(官と民、そして学会の閉鎖性について)

 現在私は、国立大学の教官という研究者としてはもっとも官というべき立場にあります。しかし、高校の教員をしながら研究をしていた頃から、まったく意識の違いはございません。もしかすると、時代的にそういった意識はなくなりつつあるのかも知れません。生意気なようではありますが、もし官民という考え方があったとしても、理想的には打ち破るものであって、捕らわれるか逃げるかするものではないと思っております。

 また、学会は一般の方の出入りしにくいところかと思います。たとえば、某学会は先生のおっしゃる在野の人を含んだ学会にしたいと考えており、実際この学会の大会では、いわゆる肩書きのない人も、立派な発表をしていらっしゃいます。それでも、なかなかそういった人たちが多くなってこないようです。


(学際的な方向性と、対象の立体的把握について)

 一方、学会の中には、その対象範囲を無意識のうちに制限してしまっている場合もあると思います。しかし、時代は学際的な研究の方向性を目指していると思っています。同じ研究対象を扱うとしても、さまざまな視点からのアプローチがあって、初めて立体的に見えてくるのではないかと信じています。そういう発想に立たない研究分野は徐々に閉塞してくるのではという気さえいたします。たとえば、私が主に活動しておりますある学会において、当初私の研究内容は異端的なものであったかと思います。おそらく、その学会に私を誘ってくださった先生の意図とはまったく違うことを発表していたようにも思います。しかし、それを排除することなく受け入れるだけの器をもった先生が、学会の中枢にいたということかと思います。その点においては、この学会について、私が自慢できる点の一つです。だからといって、この学会に官的雰囲気が全くないとは言えませんが。


(発表することの意味)

 先生からいただきましたご本の朝日新聞の白川静氏の記事を読みました。中に「在野である」ことと、「学問は大勢でやるものではない」こととに目が止まりました。先生のおっしゃる意図は、このあたりにあるのかも知れません。在野うんぬんにつきましては、前述の通りです。大勢でやるかいなかについては、次のように考えております。大勢で一つの考え方に捕らわれてしまったり、一人の意見に付き従うことは問題だと思います。しかし、自分がおこなった成果を公にすることは、大学教官に関わらず研究しているものにとっては必要なことだと思います。いかなる科学的成果であっても、その時点で100%正しいとは言い切れないものであると思います。それが多くの人の目に触れ、時代を経る中で本物だけが残っていくと考えられます。西洋の自然科学の成果などもそのように成り立っていることは言うまでもないことかと思います。少なくとも自分が生きている間に、自分の説の正誤をより明確にするためには、その時点でできるだけ多くの人の目に触れさせて、批判を受けておく必要があると思います。国内で批判してくれる人がいなければ、海外へも持っていかなければ、と思います。


(宮崎市定の魅力、旧説に捕らわれることのない見方と)

 白川氏の世代の人として、私は宮崎市定に魅力を感じています。私は東洋史に詳しいわけではありませんが、魅力のある人物ではないかと思います。京都学派の中心人物として、京大名誉教授、東洋史研究会の会長であったこと、東大派との論陣なども知られています。このようにアカデミズムの中心であるにも関わらず、その著書は読者にして「ここまで書いても良いのだろうか」とはらはらさせられるような切り口の鋭さを持っています。もちろん、その下敷きとなった資料とその解釈の厳密さを知るにつけ、決していい加減なものではないことはよくわかるのですが。なんと申しましょうか、これまでの学説に左右されることになく、自分の目(解釈)で資料を見つめることにより、もっとも自然で納得のいく切り口を持って、読者の前に提示されているとでもいいましょうか。おそらく、学会に発表される文章は私のような素人には難しいものなのでしょうが、それが叩かれた上で、一般読者の手に届くときには、非常にわかりやすいものになっているのではないかと推察できます。著書としては『科挙』などが知られたところですが、『古代大和朝廷』などに旧論に捕らわれずその資料を見つめる目の小気味よさが感じられます。(もちろん、私にはその論の適否の判断はできませんが)また、中国史観の強く現れたものなどにも魅力を感じます。理系文系を問わず、科学的態度で臨む際には、こうありたいと感じさせるものを持っていると思います。


(混沌と整然)

 話は変わりますが、先生の展覧会を拝見しまた先生のお話を拝聴するにつけ、私は「整然としたものはどこまでも整然と考えたい」また一方、「混沌としたものは混沌としたまま感じたい」という気持ちが強いように思います。芸術としての書について、言葉に置き換えるよりも、そのままの作品として感じたいと思います。一方研究対象としての書(手書き文字)は、それとは区別し、誰でも同じように納得してもらえる形で提示−言葉であったり数字であったりグラフ・図であったり−したいと思うのです。実はこのことは、書だけに限らず、高校の国語の教師をしていた時にも感じました。高校国語の教科書に載っている文章で、小説は混沌としていてもまったく違和感を感じませんでした。しかし、評論文などで難解なものがあると、なぜこのようなわかりにくい文章を教材として載せるのかよく理解できませんでした。評論文などでは、より高度な内容をより平易な形で見せている文章を見本として載せて欲しいと思いました。(具体的には思い出せないのですが)どうもこのような考え方が、私の書に対する態度になっているように思います。


 以上、長くなりましたが、時間があれば先生とお話ししたかった内容を書かせていただきましました。つまらぬ内容ですが、機会がありましたら先生のご意見をお伺いいたしたく存じます。またの機会を楽しみにしつつ失礼申し上げます。

               1997.05.11押木秀樹記

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