雑談

-硬筆と毛筆の字には相関があるか?-

押木秀樹   

この文章は、1997年のものです。「毛筆の字と硬筆の字(学習要素の差について)」の方が、同様の問題で少し新しいです。

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 この質問、確かによく聞かれることです。

 「先生、毛筆の練習すると、普段の字もうまくなりますか!?」
       とか
 「A君って、筆の字はうまいくせに、ノートの汚いっすよね。」
       などなど。。。。

確かに毛筆の字がうまいのに、普段のノートの字が決して読みやすくはないという場合が、少なからず見られます

 でも、このことは、かなり難しい質問だと思います。
 現在、高校の書道の授業と違って、小中学校の書写の目標をまとめると<正しいこと・整っていること・速く書けること(中)>が中心となっていて、美しさや芸術性もしくは伝統といったことにはふれられていません。あくまで実用性が重視されていることがわかります。一方、小学校三年生より毛筆を使って授業をすることになっています。これは、毛筆で文字の学習をするのは、実用のための硬筆の字の基礎であるということになります。具体的には、

などが、その理由としてあげられています。もし、毛筆で学習しても、硬筆の字がうまくならないという結論がでたとしたら、上記の理論否定されることになります。

 さて、余談が長くなりました。実は、今のところ、この質問に答えられるだけの実証的なデータをもっていません。しかし、私個人の経験から次のようなことが言えるかと思います。毛筆がうまい人で、硬筆がうまい人もいるし、うまくない人もいる。程度の問題である。硬筆で書く字と、毛筆で書く字がよく似ていて、両者が関連していると思われる人もいる。という感じです。

 また、学習の転移という面からは、長く追跡したことがないためわかりません。私自身の経験を振り返れば、毛筆の技能の向上と硬筆の技能の向上に相関があるように思います。以上の書き方は、その時点での巧拙の相関と、学習効果の転移との二点に分けて考えるべきだということでもあります。なお、学習効果については、つぎのような予測ができそうです。

 そこには、書字における視覚的な記憶の問題と、運動的な記憶そして調整能力の問題があるように思います。


 次に、予測を実証することを考えてみたいと思います。学習効果についての実証は、ある程度の期間追跡してみなければなりませんから、簡単にというわけにはいきません。一方、その時点での毛筆・硬筆それぞれの巧拙の相関なら、おおざっぱな実験・検証作業である程度の結果を出すことが可能でしょう。

 たとえば、毛筆で書かれたサンプルと、その人の書いた硬筆の字のサンプルを集めます。

 まず考えられることは、多くの人にそれらのうまい下手を点数化してもらいます。そして、個々のデータごとに平均を取っておいて、毛筆の点数と硬筆の点数に相関があるかどうかを求めるのです。

 また、データはあまり多くできませんが、毛筆の字グループと硬筆の字グループに分けておいて、それから似たもの同士組み合わせるという実験もおもしろそうです。同一人物の、毛筆の字と硬筆の字はにているのでしょうか??

 さて、何だかこれでわかりそうになってしまっているあなた。気を付けて下さい。というのは、この実験では、毛筆の字と硬筆の字に関係があるかないかについて、ある程度目安になるはずです。しかし、それをもって、毛筆の練習をすると硬筆の字がとたんにうまくなるとかといった結論は出せません。これがセンスの問題なのか、練習の問題なのか、はたまた本人の文字に対する意識の問題なのかを区別することができないからです。

 さて、誰かこの実験をやってみませんか? 難しくないですよね!


 まとめをしておきたいと思います。現時点では、どの程度の相関があるかはわかりません。しかし、まったくないと言い切れないことは、皆さんにもわかっていただけたと思います。それではせめて、毛筆で練習するなら、毛筆学習が硬筆で書く字に生きるような練習方法をとるべきだと思います。少なくとも、義務教育段階の書写指導ではそうでなければならないはずです。それは、逆に硬筆で書いているうちに、毛筆の字の向上もねらえるということにつながってくるように思います。そのためには、いくつかの注意事項があると思います。

などの点が必要なのではないかと思います。また、この問題については、改めて考えてみたいと思います。

(1997.06.01)