心は、心臓にある、、なんて思っていた昔はともかく、今時まじめに体(腕)で字を覚えているなどと考えている人は、いないでしょうね。でも、最近まんざら嘘でもないような気がしています。
たとえば、「憂鬱」という字を書くとき、どのようにしますか。「憂」という字は、「夏」の上の部分みたいなのを書いて、「心」みたいなのから足が伸びてるのを書くのだから、まず「一」横に線を引いて、、「ノ」斜めに引いて、、なんて考えるかも知れませんね。しかし、「ました」「です」などと書くとき、このように意識をしているでしょうか? 「ま」と「し」と「た」を書くのではなく、なんとなく一気に自然に書けてしまうような気がします。どう違うのでしょう。「ました」の方は、本当に体が覚えているような感じがしませんか? このあたりのことは、私はまったく素人でわからないのですが、立花隆『脳を究める−脳研究最前線−』/朝日新聞社の中に、「頭で覚える記憶と体で覚える記憶」という項が出てきます。伊藤正男氏(理化学研究所・国際フロンティア研究システム長)の言葉を引用しましょう。
「しゃべること、字を書くこと、簡単な計算、みんなそうです。いずれも初めは大脳のフィードバックでたどたどしくやっていたのに、そのうち意識しないで簡単にやってのけるようになる。こういうものはみんな小脳コンピュータが大脳になりかわって、あるいはそれと協力してやってることだと考えてもいいんじゃないかと思うようになったわけです。(中略) PETで脳の働きを観察していると、思いがけないときに小脳が活発に活動していることがわかるなど、私の仮説を支持するデータが次々に積み上がりつつあります。」
どうでしょうか。体で覚えているわけではないとはいえ、私たちの感覚にあう結果が脳の研究から見つかっているではありません。では、字が下手なのは小脳コンピュータの問題なのでしょうか。どうしたら、字がうまく書けるようになるのでしょうか。今後の脳の研究が楽しみです。
(1996.11.30)
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