楷書の線の合理性

〜始筆の形状45度・右上がり・筆の角度に関して〜

押木秀樹

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という質問がありました。これらの問題は、いろいろな要因があると思われます。ここでは、「楷書の線の合理性」という点からこれらについて、考えてみたいと思います。



   まず、「筆を使ってお手本みたいな線が引けません! 」のお手本みたいな線というのは、右の図のような線のことを指しているものと思われます。この線のような書き方は、西暦200年頃から現れ始め、西暦600年頃には完成した形で定着したと考えられます。ですから、楷書・行書・草書に見られ、特に楷書の特徴的な線となっています。ですから、それまでの書体である篆書・隷書にはこういった線は見られません。楷書が使われる前の書体である隷書の場合、大ざっぱに言って、中国漢代の約400年間用いられて、次の書体の変化へと移っていきます。それに比べて楷書は、完成期を西暦600年とすると、現代まで約1400年間も使われています。それには、それなりの合理性があるものと思われます。

 楷書の基本的な線は、左斜め45度程度の角度を持った水滴状の形状で筆が動きます。まず、この形状は、簡単に説明ができます。右の図をご覧下さい。右手で筆を持って自然に構えると、左方向に筆が向くことになります。また自然な持ち方では、多少筆が傾きますから、その状態で紙に筆が接すると、自然にこの水滴状の形が形成されることになるわけです。



 もし、利き手が左手だったらどうでしょうか。右の図のように、反対の形状で書いた方が書きやすいとことが推測されます。日本(中国も?)において伝統的に、右利きに矯正させることが多いのは、こういった文字の書きやすさとも関係している可能性を否定できません。
 ちなみに、利き手が左手の人は、筆を左手で持った方が書きやすいでしょうか、それとも右手の方が良いでしょうか? 残念ながら、多くのデータを持ち合わせていませので、多くの人のご意見や、研究成果を待ちたいところです。
 ただ、興味深い意見を聞くことができました。私どもの大学への留学生で、左利き、しかも筆を持つのは初めてという学生が数名いました。最初の時間、右手と左手と両方でこの楷書の線を書いてもらい、どちらが書きやすいか聞いてみました。結果は、ほとんどの学生から、右手で筆記具を持つのは初めてだが、毛筆の線は右手の方が書きやすい気がするという意見をもらうことができました。また、1名の方(UKで教師の経験有り)は、利き手が左手であることをマイナス要素のとして捉えることなく、新鮮な体験をより効果的におこなうために、教育活動として工夫すべきだという意見を下さいました。左手で書くことの工夫、右手で書いてみるという新たな体験、いずれにしても効果的な学習活動にすることが重要だと感じました。



 次に、「何で右上がりに書かなきゃいけないんですか?」ということについて、考えてみましょう。肩から上腕、肘から下腕、さらに手首から手の運動を考えると、右の図のようになるでしょう。筆記具を左から右へと運動した場合、どうしても右上がりにカーブした運動になることは、当然といえるでしょう。これも、楷書の線の特徴と一致してます。
 ちなみに、字を上体の前面ではなく、右肩よりさらに右側で書いたらどうなるでしょう。おそらく、右下がりにした方が書きやすい、もしくは右下がりになってしまうことでしょう。また、左利きの人の場合は、先の図のように右下がりの方が書きやすいだろうと思われます。



 最後は、「筆はまっすぐ立てて書くんですよね?」という点について、考えてみます。もうすでにおわかりかと思いますが、これまで説明してきた楷書の線の合理性からすると、毛筆は少し傾けた方が書きやすいことになります。自然に、左斜め45度程度の角度を持った水滴状の形状が自然に形成されるからです。右の図の、右側の例をご覧いただければ、一目瞭然です。

 もちろん、一言で楷書といっても様々なタイプがありまして、たとえば書の古典「雁塔聖教序」などはこれに当てはまりません。しかし、いっぱんに書写指導で取り扱う字の場合、また典型的な楷書の古典である「九成宮醴泉銘」「孔子廟堂碑」の場合などは、当てはまると考えられます。しかし、塾や一部の学校では、「筆はたてて構えなさい」という指導をする場合があります。案外このように教わった人は多いのではないかと思います。

 いったい、書きやすいはずの合理性にのった構え方を指導しないのはなぜでしょうか?? これはあくまで推測ですが、次のように考えられます。書の表現の伝統として、個性や深みが尊重されることはいうまでもありません。その場合、書きやすい書き方で書くよりも、ある程度の抵抗のある書き方で、その抵抗を乗り越えるような工夫をしつつ書いた方が、味わいがでるはずです。特に、中国清朝では考証学->金石学の流行->碑学派の流行、という学問と書の流行がありました。このとき、書の上では、篆書・隷書といった書体が流行します。そして、篆書・隷書は筆をまっすぐにたてて書くことになります。当時の書家は、この書き方で楷書を書いた、要するに多少不合理ではあっても、味わいのでる書き方をしたわけです。このおかげで、書の表現は、新たな広がりを持つことになりました。

 この書き方は、明治期になって〜たとえば楊守敬から日下部鳴鶴らの〜日本人に伝えられます。新しい書の流行は、日本にも広がって、日本の書の先生方は次々と取り入れていきます。これは、大変良いことであったと思います。しかし、その不合理ではあっても味わいがでる書き方というのは、書家にとっては都合の良いものですが、ただそこそこ字がうまく書ければ良いというレベルの人たちにとっては合理的とは言えない部分もありました。このあたりを混同してしまったことから、現在、そこそこ字がうまく書ければ良いというレベルの人たちにも、筆をまっすぐ立てて書くように指導するような風潮ができてしまったのではないかと推測しています。

 以上は、あくまで推測の域をでないものですから、その点ご承知おき下さい。ただし、小学校などの義務教育ではどちらで教えたらよいかのヒントは、理解してもらえたのではないかと思います。右の図の左側下の図のような線になってしまって、うまく書けないという人は、筆の角度を工夫してみると良いかも知れません。なお、子供たちは必要以上に倒して書きますから、程度というものも考えなければいけませんね。



 まとめをしておきます。

(1997.06.02)