東京都盲ろう養護学校 第5回書道作品展


インターネット展を拝見して

書道部門講師 押木秀樹(上越教育大学助教授)
 

上記展覧会のページをぜひともご覧下さい!

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 今年こそ展覧会場で直接作品を拝見したいと思っていたのですが、またインターネット展にて拝見することになりました。作品を書かれた児童・生徒の皆さんと接するチャンスはありませんでしたが、e-mailにて担当の先生とやり取りしながら見ると、作品だけではわからない努力も感じられます。いくつかの点で感じたことを書かせていただきます。

 最初に、出品者を始めとして指導にあたられた先生や介助してくれた人、保護者の皆さんの努力をうれしく思います。筆を持って動かし、そして思うような字が書けるようになるには、健常者でも苦労をします。とすれば、障害の種類にもよりますが、ただでさえ障害を克服するのに大変なのにさらに難しい筆を扱うなど、と思ってしまいがちのように感じます。しかし、指導をされたある先生のお言葉、「教育だとか制作活動だとか文化だとか抜きにして、たとえば親御さんが自分の子供と楽しめれば、それも本人を含め、生きがいになるのではないかと思っています。」という力強いご意見をうかがい心強く思うのです。少なくとも、趣味を楽しむということも、そのことをを経験しなければ理解できないはずですから。障害があろうとなかろうと、言うことを聞かない筆を使いこなす、その苦労の向こう側に楽しみや喜びがあることはいうまでもないと思います。今回の展覧会がそれに気づいてくれる場であれば、さらにうれしく思います。

 次に作品全体を拝見して感じたことを書かせていただきます。例年思うことですが、いわゆる普通の書道展や児童・生徒の展覧会にくらべ、表現の幅の広さを感じることです。たとえば、昨年より前衛的に見える表現が増えた感じがすること、また書かれている言葉が多用だということなどです。前衛的に見える作品については、一生懸命書くと身体上そのようになるのだと聞きました。もちろん、でたらめで構成の悪いものを作品とは呼べません。しかし、個性ある線で書かれ、全体構成が優れたものであれば、健常者の書家による前衛的作品と同じだと思います。仮に、本人がただ介助者と紙の間に介在しただけであっても、立派な作品であればうんと誉めてあげたい、そしてそのようなものが作れる喜びを感じてほしいと思うのです。

 作品に書かれている言葉を見ますと、「仕事をする」「しゃかいじん」といった目標を書いたのかなと思うものや、「海峡」「札幌」「牧場」など思い出か勉強したことを書いたのかなと思わせるものなど様々です。他の展覧会では、同じ言葉がずらっと並んでいることも多い中で、新鮮に映ります。昔の書き初めを思えばその年の目標を書いたりしたわけですし、これらの言葉に実感がこもっているように思えるのです。もちろん、「毎攬昔人興感興…」といった臨書作品によってすぐれた書作品を目指すのと同様に、自分たちの言葉を記す活動は立派だと思います。個性という意味では、同じ「ふじさん」でも、漢字であったりかなであったりします。それが障害の程度により仕方がないものであったとしても、その子その子の個性として感じることが大切だと思いました。

 さて、すべての作品について触れる余裕はありませんが、最後に作品の具体的な点についても触れておこうと思います。昨年のあの子、今年はどんなのを書いているかな、という興味がわいてきて、昨年の作品集と比べながら見てみました。「新月…」のSさん、「秋風…」のHさんは、形も線も向上が見られ、文字の大きさや余白などが向上するともっと良くなると思いました。昨年「巨人」と書いていたKさんが「ホームラン」と書いています。野球が好きなんだな、今年は大きな紙に書いてがんばったなと思います。また、Yさんは「満天の星」→「天使の笑顔」、天という字が上手になっているけれど、Yさんらしい字ですぐわかった。「ポプラの森」→「ゆめ」のKさんはくるっと回す動きが上手になりました。「元気」→「日本一」のYさんは、太くぎゅっと引いた線だから、すぐ気がついたし、「おじいちゃん・・」→「猪苗代」のTさんは、なかなか見つからなかったけど今年は漢字を書いていたのですね。逆に昨年、「竹」一字だったTさんは、「つみき、つんだ・・」と細かく言葉を書いていますね。すべての作品について触れることができず残念です。こうして見てみて、継続すること、そしてその人らしい字を書くということが大事だということがわかります。

 今回の展覧会は、個性そして努力と楽しみという点で立派なものであったということをまとめとしたいと思います。


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