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作品の息づかい (第二十七回展に寄せて)

 初心者の学生で、実に整った孔子廟堂碑風の楷書作品を書いてくる学生がいる。実にまっすぐな、私などでは書けないような作品である。残念な点は、整った人形のような雰囲気であることだ。具体的に言えば作品を書く上での苦労、抽象的な問題では本人が生きているという息づかいが伝わってこないということになる。

 一方、東京都の盲・ろう・養護学校「書道作品展」のご案内をいただき、会場まで出向くことはかなわなかったものの、インターネット上で拝見させていただいた。どの学校の作品も生徒・指導者の熱意が伝わってくる好ましい作品であったが、特に肢体不自由の人たちの作品には唸るものがあった。よく状況も知らぬ訳だがあえて書かせてもらえば、センスはおそらく健常者と同じかそれ以上であろう、それを抵抗を乗り越えて表現しようとしている迫力とでも言えようか。ものによっては、いわゆる書家が精神的な抵抗感を技巧によって表現しようとしている作品以上かも知れない。

 前述の学生が持ってきた作品の中に、決して巧いとは言えないが、息づかいの聞こえる一枚があった。聞けば、「一点一画ごとに穂先を直して書いていたが、その一枚だけは直さずに書いた。とても苦労した」とのこと。苦労や抵抗を隠してしまうことも一つの方法だが、その苦労を見せるのも、意味ある場合があることを感じた。「うらを見せおもてを見せて、、」とは言い過ぎか。

 どうか、ご来場の皆様のきびしいご叱正と励ましをお願い申しあげます。