さて書作品は読めるべきか、読めなくともよいのか。制作する側である学生らは、一応好きな詩や季節感のある詩を選んではいる。
先日、合唱のコンサートを聞いて思ったことは、意味の分からぬ外国語の歌詞のついた曲であろうと、日本語の曲であろうと、良いものは感銘を受けるということである。書もやはりそうかも知れない。しかし、二三年程度書をかじった程度で、人に感銘をあたえることなどできないのもまた事実である。
残念ながら学生らの書は、感銘どころか基礎的な技術さえも、きわめて未熟である。ただ、学生らは未来に羽ばたく大きな可能性と個性とを持った一人一人である。それぞれの作品が一つ一つの顔を持っている。将来の顔を想像しながら作品を見つめることは楽しい。
どうか、ご来場の皆様のきびしいご叱正と励ましをお願い申しあげます。