こういうとき、ここ一番格好良く、皆さんに残す言葉を書けば良いのでしょうが、一応と言う感じにさせてください。インターネットにて、見知らぬアメリカの大学生からe-mailを受け取りました。チャイニーズマレーシアンのアメリカ人で、地方大学の三年生とのことでした。英語が苦手な私のこと、いつもなら用件を済ませておしまいにするのですが、ちょっと興味があって彼にいろいろと質問をしてみました。まあ世間話であるにもかかわらず、彼は自分のわからないことはさっと調べ、私の英語力に会わせた表現で、自分の意見を的確に述べていました。この文章を見ていて、うちの学生ではとてもこうは対応できまいと感じました。そのことをほめたのですが、彼はごく当たり前のことだと言っていました。ちょうどそんなおり、他大学のある教官と雑談をしていて、日本の大学生のライティングスキル・ライブラリースキルの致命的欠如の問題がでました。(その先生が論文になさる予定だそうで、詳細は略。)アメリカでは高校生までにかなりこういった訓練がなされていて、さらにいわゆる教養的科目として、徹底的に指導を受けるらしいのです。最近の学生は卒論・修論ともそれらしい文章が書けないとはよく言われることですが、考えてみたら資料を集め整理し的確な文章を書くトレーニングを受けてきたでしょうか。もちろん、何らかの授業でレポートについて丹念に指導して下さる先生もいらっしゃいます。しかし、それ専門の授業というのを受けて来なかったようにも思います。日本人では、師や先輩のやっていることを見て技を盗み、そして良い文章をまねるということで学んできたように思えます。しかし、情報量の増加から何をまねたらよいのかの選択も難しく、また情報の形態やその検索方法も変わってきて技を盗むと言った非効率的な方法では間に合わなくなってきているのかも知れません。ついこの間だされた教育課程審議会の「中間まとめ」にも、それらしい方向が打ち出されつつあります。いま大学のカリキュラムにそういった授業がないとしても、それに関係する本を読むなり自分から先生に聞くなりして、意識してライティングスキル・ライブラリースキルを身につけるようにしておかないと、まずいように思います。このことを私の(おそらく)最後の文苑の原稿に書いておきたいと思います。
情報量の増加という言葉がでてきました。このところ、私が自分の仕事を振り返って思うのは、ほとんどの仕事が情報処理だということです。受け取った情報・かき集めた情報について、整理・取捨・判断・加工して送り出す、これがほとんどの仕事の形のように思えます。おそらくその形は、知的仕事のかなりを説明できるのではないでしょうか。教師としても、営業だろうと開発だろうと。
ですから、知的業務をおこなおうとする皆さんには是非付けておいて欲しい力です。特に教師をめざす皆さんは、教える子どもたちにその力を付けてあげて下さい。日本を背負っていく子どもたちに。月並みな話かも知れませんが、私の実感と言うことで。
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