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時と距離とお金

 学会に出席するため、初めて北海道に行った。小松空港から千歳空港まで一時間半。飛行機で行きたかったが、どうしても都合がつかなかった。生協の旅行窓口では、小松〜羽田〜千歳と乗り換えることをすすめてくれた。結局、JRを使って十八時間もかけて行ったのは、二万円が出せなかったからである。時は金なりと言うが、(背中や腰で?)痛感した。

 宮崎市定は『中国史』その他の著書の中で、「時間と空間」「距離の評価」について述べている。たとえば、西アジアでは青銅期の時代がとても長く、随分してから鉄器の時代が来る。それに対して、日本ではその二者がほとんど同時に現れ、中国はその中に位置付けられるのだそうだ。青銅器の作器技術が起こってから、鉄器の技術が起こるまでには大変な時間がかかったことだろう。それに対して、輸入した国々は伝搬速度が問題となる。青銅器が作られるようになったころは伝搬速度が遅く、鉄器のころは多少早くなったわけだ。日本はその作器技術の要した時間と伝搬速度の差が一致した地点ということになろうか。日本が一致点であることもおもしろいが、開発に要する時間、そして伝搬する時間の長さを強く感じる。

 つい先日、研究室のパソコンでMOSAICというソフトウェアが使えるようになった。とりあえず、アメリカのバージニアにある大学のWWWサーバ に入り、留学生トリーシアさんにその大学の中を案内してもらった。研究室の十七インチディスプレイの中ではあるが、ちょっとした大学の散歩である。同様にホワイトハウスや首相官邸を覗いてみることもできる。電子メールは十分程度でヨーロッパに届けられる。飛行機が世界を狭くしたのはご承知のとおりだが、マルチメディアがこれほど世界を狭くするとは思いも寄らなかった。

 伝搬速度も文明の発達速度も速くなった。ただ、良く言われることであるが、現代の研究がかなりの勢いで進歩しているように見えるのは、研究環境の向上が大きいのであって、新しい発想が次々生まれているわけでもないようだ。かつて何年もかかると予想された計算があっと言う間になされ、膨大な資料はデータベースで検索できる。それに対して、私たちの創造性は、どの程度進歩しているだろうか。もっとも、先端の装置どころか、わが国語教室では、パソコン一台壊れても買い換えるお金がないのも事実だが、、、。研究費をもらうには、たくさん書類を作って時間を費やすことになる。研究費のために時間を使うべきか、その時間を研究に回すのか。やはり、時とお金と距離、そして研究は関係しているようで、、。


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