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「手書き文字の将来と研究屋 −期待と憂鬱−」

金沢大学教育学部講師 押木秀樹

1.太陽が爆発するとしたら

 冒頭から、唐突なたとえ話で恐縮である。

 ここに星の一生について研究している四人の研究者がいる。特にこの四人は、星の終焉、如何にして星は一生を終えるのかを研究していることにしたい。星の終焉については諸説あり、それぞれ理論上では正しいように見えるが、実際のデータで確認した者はいないことにしよう。身近で星の終焉を観察できないからである。そんなある日、太陽がまもなく終焉を迎えることがわかってきた。それも四人の研究者の命があるうちにである。(太陽が完全に終わってしまう遥か以前に人類は滅亡しているだろう、などということはこの際考えないでいただきたい。)これは、研究されてきた星の終焉に関する理論を確認する良いチャンスであるが、確認した瞬間には自分達の死が訪れる危険性が高い。

 四人の研究者をA氏・B氏・C氏・D氏としておこう。宗教家でもあるA氏は、死の瞬間が訪れることを考えて、信仰を中心とする生活を始めた。真面目で正義感の強いB氏は、何とか太陽の終焉をくい止める、もしくは引き延ばす方法についての研究を始めた。C氏は、うまく生き残ったとして、星の消滅の理論が明確になった後、何かおもしろい研究がないか考え始めた。(もちろん万が一生き延びたとしても、大学や研究所があるかといったことは、この際考えないでいただきたい。)C氏は、百億年くらい前に滅びた星の姿を明らかにする研究でもやろうと思いその準備に取りかかった。最後のD氏は、これまでのさまざまな理論が現実の星の終焉と対応するだろうかということしか頭になく、ともかくも太陽のデータを収集する準備を整え、刻一刻と送られてくるデータを、わくわくと胸踊らせて見つめている。自らの死のことなどおかまいなしである。

 信仰生活のA氏、くい止めようとするB氏、次の楽しみを考えるC氏、わくわく太陽を見つめるD氏、我々がその立場ならどのタイプに属することになるだろうか。

2.手書き文字のこれまで

 さて、私など大学で書写教育・書道に携わる者にとっては、手書き文字が命である。もし人間の社会に、手書き文字がなかったなら、書写教育も書学書道史研究も芸術的な書の創作活動もなく、無論大学に私の席もなかったはずである。まずは「手書き文字が命」ではなく、「手書き文字の命」の方から考えてみたい。

 先ほどの太陽の終焉ではないが、太陽の歴史に比べたら手書き文字のそれは短いとは言え、漢字は現存する資料からおおよそ3000年の命を保っている。蛇足とも言えようが、簡単に振り返ってみよう。現在知ることのできる最古の漢字資料は、殷代の甲骨文である。その甲骨文を含んだ広義の篆書が使われたのがほぼ秦時代まで、今から2200年前までである。その間、約1000年。そして次の時代を担ったのが隷書であるが、それも約400年間で次の書体へと移り変わっている。三国から南北朝時代には、楷書・行書・草書がほぼ完成に近い形となっている。約1500年前のことである。もちろん仮名の発達は、それ以後のことだ。現在我々が主に用いている楷書の手本の字形は、中国唐代今から約1400年前から基本的に変わっていない。また、ひらがなについても連綿の問題などをのぞくと、現代の手本の字形ほぼそのままのものを平安時代、今から約900年前の書跡にうかがうことが出来るのである。手書き文字の3000年の歴史の中でも、我々の用いている書体=楷書とその字形は、約1400年間生き延びてきた。紆余曲折があったにせよ、なんと長い間使われてきたのだろうか。

 ちなみに、筆記具や手書き文字の周辺のことをあわせ考えてみたい。まず、筆という筆記具であるが、これは甲骨文が発見される以前、既に彩陶などに筆らしき物の利用が見られる。文字とともに筆が歩んだ歴史は、約3000年にはなるだろう。筆が筆記具の中心であった時代は、たいへん長い。また、布に文字を書いた資料として、メトロポリタン美術館蔵の楚の帛書、馬王堆漢墓出土帛書などがあげられるが、約2200年前の資料である。そして紙は、甘粛省天水県出土残紙から約2200年、また文字資料として見ることのできる楼欄出土残紙から約1700年が過ぎている。さらに、手書き文字をとりまく周辺のこととして、印刷があげられる。印刷については、まったく専門外であり詳しいことは語れないが、敦煌出土「金剛般若経」は唐代の印刷物だそうである。手書き文字は、筆記用具や社会や文化の変化とともに、3000年の間当然ごとく変化しながら生き続けてきたと言えよう。

3.手書き文字に関わるこの百年のこと

 若い研究者仲間に、1873年に商品化されたタイプライターのこと、1960年代におこったカーシブライティングからマニュスクリプトライティングのことなど、欧米での手書き文字(教育)に関する論考を持つ者がいる。そのあたりへと話をつなげていきたい。

 約3000年近く文字を手書きする際に使われてきた筆が、硬筆筆記用具に取ってかわられたのはいつ頃のことであろうか。文学作家らの原稿を調査した結果によれば、1860年生まれは完全に筆書き世代、1900年生まれはペン書き世代になるそうである。筆の3000年に対して、硬筆筆記具は70年ほどということになる。また、一般の文章が縦書きから横書きへと移行し始めてから約40年ほどであり、現在では縦書きに板書しても横書きでノートをとる学生が多いほどになった。この筆記具と筆記方向の変化だけをとっても、3000年の手書き文字の歴史の中でかつてなかったほどの大きな変化と言えるのではないだろうか。手書き文字を研究する者にとっては、太陽の爆発とまではいかなくとも、太陽の色が黄白色でなくなったくらいの大きな変化に思える。その影響は、持ち方・字形はじめ諸方面にあらわれても良いはずである。

 さらに追い打ちをかけるように、1978年のワープロ一号機の誕生から、ここ十年ほどのワープロの普及は驚くべきものがある。お叱りをうける覚悟で告白すると、かく言う私自身もこの原稿をワープロで作成している。欧米でのタイプライターの普及と同じくらいの変化が、日本の手書き文字に押し寄せるかも知れない。太陽の爆発とまでいかなくとも、太陽の明るさが半分になるくらいのショックである。ワープロの普及と手書き文字に関して、さまざまな立場の人と話をするチャンスがあるが、大方の人たちはワープロの普及といってもたかが知れているでしょうとおっしゃる。しかし、我々は硬筆筆記具の世代であっても、ワープロの世代とは言えない。そもそも硬筆筆記具にかわったことによる大きな変化の波さえ、これからやっと押し寄せてくるのかも知れないのである。それらの変化の波は、情報伝達が速い現代だから速いとも考えられるし、逆に教育という一種の(悪い意味でなく)統制がしっかりしている現代だから時間がかかるだろうという考え方もできる。

4.今を生きる手書き文字研究者の思い

 また一般の方々の意見に話を戻そう。手書き文字が実用という点において用いられる場面が少なくなったとしても、芸術としての「書」(書道、書法、習字)はかえって注目を集めるのではないかとおっしゃる方がいる。確かにそうかも知れないと思うし、書の制作活動を行っている私自身としては大変嬉しいご意見である。ただ、研究者の一人としてみると、大学での研究・教育と手書き文字との関わりが、書芸術の制作活動のみになってしまうことには、異を唱えたくなる。少々こじつけがましいが、最初の例における宗教に走った研究者A氏が思い浮かんでしまうのである。

 次に、手書き文字の使用場面が減るということは、手書き文字の美的観点の衰退を招くだろうから、逆に指導研究に力をいれておくべきだという意見をいただくことがある。我々は実用的な手書き文字にあらわれる美しさという東洋の伝統を守っていく責任があり、そして守りたいと思う。この気持ちは、さしずめ最初の例の太陽の終焉をくい止めようとするB氏の心情であろう。しかし、手書き文字の研究に携わるものの一人としてそれだけではいられない気持ちが少なからずある。そう、例のわくわく太陽を見つめるD氏の心情である。

 かつて1000年以上も前、手書き文字が大きな変化を見せた時代には、現代のような捉え方で手書き文字を研究しようという意識もなかったであろうし、今その時代の手書き文字の変化を研究する場合にも十分な資料が得られるわけでもない。それに対して、現代は手書き文字に何らかの大きな変化がある可能性を持っている。そして、その資料はリアルタイムでふんだんに得られるのである。伝統を守るべきだとする方には不謹慎だと言われても、研究者としてはわくわくするような時代と言えよう。

 しかし、手書き文字の研究成果や研究者は極めて少ない。音声言語研究においては、口腔の動きや音声のグラフ化などによる研究も行われている。対して、文字言語では異体字なども含めてほとんど活字で表現できる部分の研究を中心としており、個々の運用として、概念形である字体が個々の字形として運用される部分の研究が薄い。このことについては、情報処理の分野において、音声認識・文字認識の研究者から指摘されているとおりである。もちろん、これまでも手書き文字の研究がなされていなかったわけではない。書学書道史や書写書道教育の分野で、また筆跡鑑定や文字認識、筆跡心理学の分野で扱われてきた。ただし、書学書道史などでは特に優れた筆跡が中心であったり、また木簡帛書の出土により特に優れた筆跡以外の手書き文字研究が行われてもそれは歴史的なものに限られる傾向があった。先に過去の研究をするC氏の例をあげたが、歴史的な研究はおもしろいとはいえ、手書き文字の研究がそれのみで良いわけはない。また書学書道史以外の分野では、たとえば情報工学の分野において、電子技術総合研究所を中心として作成された手書き文字データベースETL8には約十五万字もの手書き文字が収録されている、などの例をあげることが出来る。しかし、それらによる研究成果は、目的に直結した研究に片寄ることになる。手書き文字を扱う研究屋の一人として、手書き文字に関する基礎からの体系的な学の成立、現代の手書き文字に関する現象をリアルタイムで調べる人文・自然・社会科学的なアプローチが必要なのではないかと思う。

 手書き文字研究にも、字形データの抽象化やその表現など大きな障壁がある。それらの問題の解決や、これまでの研究成果をまとめていく方法を検討するために、昨年より十名程度のメンバーで研究会がスタートした。もっとも、近年の宇宙・物理・医学・生物等の自然科学の長足の進歩と比較すると、手書き文字に関する学が体系的に整うのはいつのことだろうかと思われる。私もこの研究会で勝手な意見を述べさせてもらっているのであるが、私のような凡庸な頭脳の持ち主までもしゃべっているようでは、手書き文字は安泰でも、手書き文字の研究は明確な成果がでる前に研究者の方が絶滅してしまわないだろうかなどと心配している次第である。

 これまで手書き文字の手本は長い歴史の流れにより、淘汰され選択されてきた。現代は変化が激しく、悠長なことを言っていては対処できなくなっている。マンガ文字の存在、シャープペンシル・ボールペンが中心の筆記具、横書きによる変化等に対して、これまでの書写指導で対応していて良いのだろうか。これら具体的な問題に対処できるようになるまでには時間がかかるだろうが、それでも長い歴史の流れにまかせておくばかりではつまらない。手書き文字の現在、そして将来に関して、クールな目で基本的なところからしばらく見つめてみたい。

 ずいぶん唐突で粗略な表現も使ったがお許し願い、ご意見ご指導またご質問などもお気軽にいただけたら幸いである。
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