書写の学力を活用できる力にするために

〜学習指導要領と現実への対応〜

Back

 今年度から実施されている学習指導要領における国語科の基本方針の一つは、目的や場面に応じて言語能力を活用する力の育成にあるといわれている。このことは、学習すべき要素・内容を踏まえ、学習者がその意義・必要性をより実感できる学習活動にしていくことを目指すものとも考えられる。
 国語科の学習内容の一部である「書写」においても、このことは同様に考えられる。ただし、書写の領域は、他の国語科の領域にくらべると遅れていたという指摘も、ある程度認めなければならない。学習すべき要素・内容の明確化と、それらを有効に生かすための学習活動とに分けたとき、前者の明確化という段階で遅れていた。

 私自身が教員養成の「書写」の授業を履修したのは、十数年前である。そのころの授業と、現在の私が担当している授業*とでは、おおざっぱに見積もって、三十パーセント近く異なっている。研究や専門書のレベルでは一概に言えないものの、当時の教員養成用テキストと現在のそれとをくらべてみると、テキストの内容がそれだけ違っているのである。違っているのは、児童・生徒を中心した授業展開に関する部分でもあるが、多くは手本中心から内容中心の考え方への移行によるものである。先に述べた学習すべき要素・内容の明確化の成果といえよう。三十パーセントというのは極めて大きく、その部分が、小中学校の先生方に行き渡っているかどうかも心配ではある。(それ*を伝えるために、私は現職教員の多い、この大学に移ったのだ!)

 一方で、児童・生徒が書写の学習活動の意義を実感でき、その目的が達成できるよう工夫していかなくてはならない。思い出されるのは、小学校の先生方からの「高学年になるとある程度の速さで書く(この場合は単に字を書くことの)能力が必要だが、なかなか速く書けない子がいる。字を書くことの指導は、書写のはず・・」という話である。「速く」書く能力は、中学校国語の学習内容にあたるが、それにしても、書写の学習と通常のノートの書字とが、遊離してはいまいか。また総合的に学習する際を例にすれば、インタビューしつつのメモやノートする際の書字と、まとめた内容を掲示する際の書字とでは、違うはずである。果たして、目的や場面に応じて書字する能力を育成しているであろうか。
 さらに、国際社会に生きる日本人として、「毛筆による書」をその文化として体験するという考え方の一方、単に「筆は難しいから嫌い」という子どもにしてしまってはいないだろうか。もう一つ、速く整った字が書ける能力を持っていれば、通常のテストや高校入試などにおいて、考える時間をその分だけ多くとることができるとも考えられる。仮に進学を重視する中学校などをイメージすれば、速く書く能力を育て、それを有効に生かせるようにしているだろうか。

 いくつか「〜か?」という問いをあげた。いずれも国語の学力としての書写を、有効に生かしていくための課題として、この大学で現職教員の皆さんや学部からの院生の皆さん、学部生の皆さんとともに、今考えたいことである。

*担当する授業の一部は、http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/にてご覧いただけます。


上越教育大学国語教育学会報 第35号(平成14年7月)