書写教育研究における字形分析の利用について

    字形指導の計量的手法による研究法

         新潟県立新津高等学校  押 木 秀 樹

 

1. はじめに

 先に、押木は「楷書の字形分析研究の方法について」(*1)において、字形の特徴を数値として客観化する字形分析の基礎について発表した。この研究は、書道研究・書写書道教育研究の一つのアプローチとして、字形の特徴をコンピューターを用いて客観化することにより、書に関わる諸研究をより実証的にしていくことを目的としたものである。ただし、あくまでも基礎的な研究であり、この研究の内容を実用的なものにしていくためには、さらに多くの課題を消化しなくてはならない。課題を消化するにあたり、ある程度現実の利用場面を想定し、その中で基礎的な考察を行っていくべきではないかと考え、字形分析研究の次の段階への方針として、次の四点をあげた。

本論文では、以上の方針で研究を進めた過程と、実際に字形分析を用いた実験例を紹介する。

 

2. 書写教育研究における字形分析の利用場面

 書写教育研究をより実証的なものにしていくために、字形分析を取り入れることが有効であると考えられる場面を整理すると、次のように考えられる。

 1、学習者の書写能力の把握

 2、書写環境の把握

 3、指導法研究

たとえば、「1、学習者の書写能力の把握」とは、次のようなことである。評価基準の作成や、書写教育の抱えている問題の明確化などを目的とした、児童・生徒・学生の書写能力の調査を想定してみる。

 大規模な調査の場合、複数の評価者が、

ポイント-文字の大きさは適当か?

a-とても良い b-良い c−ほぼ良い d-悪い)

などの基準で、証価を下すことになると考えられる。まず第一に、複数の評価者が、同じ文字に対し、同じ評価を下すといった保証はない。また、多くの文字を扱うとなると、評価者の負担が増える、もしくは評価者の数が増えるのは当然である。そして、評価者の負担は、調査を行う上での大きな障壁である。客観化を保証し、評価者の負担を軽減するために、コンピューターによる字形分析は有効であると考える。もちろん、調査する観点がすべて客観化できるものではないが、できるだけ客観化し測定したのち評価をくだすという方針は、必要だと考える。

 また、一般の授業における評価などの、学智者の能力把握を想定する。前に上げた基礎調査などを元にした字形の標準学力とくらべることにより、目の前にいる児童生徒の書写能力を把握することができる。そして、窒重別後の字形の特徴を測定し、客観的に比較することにより、ハロー効果などの混入なしに学習結果を評価することができる。もちろん学習態度などの主観的に評価せざるを得ない項目については、教師自らが行い、最終的に総合して評価すれば良いわけである。

次に、「2、書写環境の把握」は次のように説明できる。

成長の過程で脳に文字の形のテンプレート・鋳型のようなものができると仮定したとき、その原形となる文字、すなわち児童生徒が字形を学習する過程で対象とする文字を知り、その特徴や関係を明らかにしていくことは、書写教育の基礎学ともいえるだろう。

たとえば、次のようなことである。

・書写の手本の字

・明朝体活字

・教科書体活字

・その他の文字

は、

-はどのような特徴を持っているか把握する。

-の間には、どのような、またどの程度の差があるか。

-と比較することにより、生徒の文字はどの文字の影響が強いか。

具体的には、マンガ文字の特徴として、

 1.本来接しない点画と点画が、接したり交わったりすることがある。また、その逆

  の場合がある。

 2.点画が省略される場合がある。

 3.閉じられる空間を広く書く傾向がある。

 4.一般に曲線的である。

などがあげられ、その要因として、

・マンガで用いられた曲線的な手書き文字の影響

・ドットプリンターによって出力されるデジタル図形による文字の影響

  (その文字のデザインに問題があるということか?)

・丸ゴシックやポップ文字、新しい曲線的なデザインの活字の影響

などが、考えられている。マンガ文字の研究として、どの程度マンガ文字が蔓延しているかを調査する (「1、学習者の書写能力の把握」の一つと考えられる)とともに、生徒が目にする書写環境としての文字の形の把握が必要であろう。

 さらに、「3、指導法研究」については、次のように説明できる。

微視的な、一時間一時間の指導法研究として、

といった例があげられる。指導法研究に、教育工学的な方法を取り入れることの有効性は、森山(*2) によって、明らかにされている。ただ、いくら研究法が厳密であっても、測定が客観性を欠いているとしたら、研究結果の保証はできない。こういった研究にも、字形の客観的な比較が有効であると考える。

また、巨視的な研究として、

 といった研究を想定する。研究結果を確実なものとするためには、できるだけ客観的な測定を行い、その後価値判断としての評価を下す必要がある。しかし、客観的な測定というのは、容易なものではない。たとえば、六年間の追跡調査を、同一人物が主観的評価で実験を行った場合、同一時点では正確な基準をもって評価を下したとしても、それが六年間維持される保証はどこにもないのである。こういった場合にも、字形分析は必要であると考える。

 書写教育研究において字形分析が有効であろうと思われる場面を以上のように考えてみた。そして、現在の基礎的研究を、徐々にこれらの研究に合わせ実用化していくという構想を立て、その中からまず「3、指導法研究」を取り上げた。

 

三、実験的な筆法研究のための基壌考察

実際の実験例を紹介する前に、実験的な指導法研究のための基礎考察をしておく。本研究では、科学的方法として、教授心理学の方法を取り入れることとし、松田の『教授心理学』 (*3)を参考とした。表1は観察的実験法の手順をまとめたものである。この中で、厳密な設定を必要とする、重要な点が変数の設定である。この変数を一般的に示したのが表2である。そして、この変数を、私なりに書写教育に当てはめてみたのが、表3の「書写教育研究への適応例」である。


 以上のことを基礎として踏まえ、従属変数である字形の特徴をコンピューターで抽出する、小規模で簡略なテスト実験を行った。その、結果がでるまでの過程を中心に、以下に紹介する。

 



四、実験例

(1)研究目的

 字形の学習を目的として、手本を見て練習する際に、特に注意すべき事項を提示

 することにより、学習効率はどの様に変化するか。また、注意すべき事項の数によ

 り、単工習効率はどの様に変化するか。以上の二点を明らかにする。

(2)学習課題

  「十」「書」「日」「田」について、字形を整えて書く。

  (特に注意すべき事項)

  (a)枠内にしめる文字の大きさ (十・書・日・田)

  (b)縦横の比率(十・書・日・田)

  (c)壊画の角度と横画の分割比(十・書)

  (d)分割される空間の広さ  (日・田)

(3)各変数

 【独立変数】            

 ・注意すべき事項の提示の有無 (0、有)

 ・提示する注意すべき事項の数。(14) *4

 【従属変数】字形の特徴−

 ・枠内にしめる文字の大きさ (十・書・日・田)

 ・縦横の比率       (十・書・日・田)

 ・横画の角度と横画の分割比(十・書)

 ・分割される空間の面積  (日・田)

 【交互作用因独立変数】

   以下の点を統制する。

 ・教材−硬筆(HBの鉛筆優用)。

    書字枠は2.5×2.5cmとする。

      字種は「十」「書」「日」「田」。

 ・学習者-高校一年生 (15-16才)

      普通科生徒。

      男女比(男子60%、女子40%)

      芸術科目の書道選択者。

(4)学習グループ

 被験者は男子十八名、女子十二名の計三十名とした。そして、特に注意すべき事 項の数04とその内容で、学習者を1-6の六群に分けた。

 ただし、被験者の数は、こういった実験としては少なすぎる。さらに、等質化(* 6)も十分ではないことが明白であり、実験結果を一般化(*7)することはでき ない。したがって、一般化のための統計処理ははじめから行わず、測定された結果を表・グラフから確認するにとどめる。実際の実験では、被験者の数を多くするとともに、対配分法を用いるなどの配慮が必要である。

(5)実験手続き

 実験は、すべての指示を書き込んだ練習用紙を用い、教師による指示の必要がないものとした。用紙は、練習の方法などを書いた表紙と、実際に練習する用紙六枚からなる。注意すべき事項はその六枚の用紙にそれぞれ示した。学習者は、練習用紙の枠内へ、課題の文字を六回筆記し、一回目は六群とも活字を見て書く。これを測定し、事前測定とした。その後の五回は、六群とも手本を見て筆記する。その内、二回目の筆記は、六群とも指示を与えず、三回目以降から指示を与える。なお、練習時間は十五分とした。

 各群に与える指示等は表4のとおりである。


 

(6)測定

 測定する変数は、前記の従属変数の一覧で示したとおり。六回の筆記物すべてに ついて、この変数を測定する。なお、この実験での従属変数が、先に示した第一次から第三次の従属変数のどれに相当するかについて触れておく。一回目の練習(書字)を測定した結果が事前測定にあたることは、先に述べたとおりである。そして、ニ〜六回目の練習を測定した結果は、教授=学習過程における一過的なものであることから、第一次の従属変数となる。ただし、最後の六回目の練習は、前の三回の練習において提示された注意すべき事項をすべて提示することから、これを測定した結果は、教材の習得理解等を示す第二次の従属変数とも考えることができる。

  これらの変数の測定のために、いくつかの特性値をもちいる。用いた特性値は表5のとおり。なお、その定義については、*8を参照のこと。具体的な測定方法が、本研究のもっとも中心となる部分である。

 処理装置は、個人で購入できる程度・各研究室に設置できる程度のパソコン、具体的な機種等は表6に示したものを使用した。処理は、表7の手順によって行う。学習者の書いた「練習用紙」は、イメージスキャナーという機械を用いて、コピーをとるような感覚で、コンピューターに入力する。その後、コンピューターに向かっての手作業による処理が、三カ所あるが、そのほかは自動で処理される。

 


 



 

 このシステムを用いて、今回の実験で手本とした字を、測定した結果が表8である。

 

 


(7)実験結果と考察

まず、実験結果を先にまとめておくと、今回の実験においては練習の効果はあらわれているが、注意すべき事項の有無・その数が、学習効果に影響を与えているということはできない、という結果となった。ほとんどの課題に対しほとんどの実験群で、一回目の筆記にくらべ、六回目の筆記の方が手本に近い傾向を示している。しかし、注意すべき事項として指示したことは、その結果にあらわれていないのである。

測定した従属変数は、ほとんどがグラフ1のような傾向になっている。このグラフは、「田」の文字の大きさを示す、外接方形の面積(WS)を表現したものである。被験者の文字と手本の文字との差を各実験群ごとの平均値であらわしたもので、下になるほど手本の数値に近いことを示す。これを見ると、各群とも、一回日の筆記では手本と異なる傾向があり、二回目で手本の大きさに近付いて、その後は大きな変化を示していないことがわかる。一回目は枠のなかに小さい字を書いているが、手本を示されると枠に応じた字の大きさがわかり、その後は、多少の変化や手本との差は残るものの、大きな変化が見られないのである。具体的に、実験琵の学習者の文字と、その数値を表9に載せた。外接方形の面積(WS)・広がりによる大きさ(MS)ともに、一度大きくなって、その後は大きな変化がない。


 

 このような結果となった理由として、練習課題が容易すぎたためであると考えられる。学習者は、高校一年生と、すでに今回課題とした事項の学習を終了している段階の生徒である。そのため、練習において成果があらわれにくかったのではないだろうか。


 

ほとんどの変数が、グラフ1のような傾向になったわけだが例外もある。グラフ2は、「十」という字の外接方形の縦横比(WM)のグラフで、各群の平均値をそのままグラフにしたものである。この縦横比は、正方形だと1、横長だと1以上となるから、手本の文字は若干横長なわけである。これを見ると、わずかに横長の手本に対し、被験者は縦長の「十」を書いていることがわかる。被験者は、手本を見ることでほぼ正方形に近い字となり、そして四回目で指示を与えた実験群123は特に手本に近付いている。また、広がりによる縦横比(HM)でもグラフ3から、四回目に与えた指示が生きていることがわかる。しかも最後に各群を比較すると、指示項目が4と多かった実験群1をのぞいて実験群2・実験群3とも手本に近いことがわかる。具体例として、実験群2の学習者の「十」の文字と数値を表10に示した。グラフと同様の傾向があることが、「縦横の比率」の数値でわかる。この例だけに限定すれば、ただ漫然と練習するのに比べ、指示を与えることにより学習効率があがり、指示する事項の数は少ない方が効果的であった。



 

もう一例、例外的な結果となったことを紹介しておく。グラフ4は、「田」の縦横比の変化がもっとも顛著に現れているグラフで、広がりにより縦横比(HM)を手本との差で表現したものである。(他の表現によるグラフも見にくいものの、同様の傾向を示している。)

 

このグラフは、活字を見ての一回目の筆記で手本と異なる縦横比を示していたものが、いったん手本に近付き、その後また異なるという傾向を示している。これは、縦長の「田」を書いていた学習者が、二回目には手本を見て、それに近い縦横比に書き、その後は手本以上に横長に書いた結果である。特に縦横比に注意するよう指示した四回目の実験群123では、その傾向が顕著で、きわめて横長に書いたために、グラフでは手本と離れる傾向があらわれているのである。具体的には、表9の文字と「縦横比」の数値で確認できる。もともと、手本より若干縦長に書いていたものが、手本の特徴を過大に捉え、しかも注意を促されることで、その傾向を増してしまっている例といえよう。 しかし、こういった例はわずかである。また、被験者数も少なく、事前測定から各群が等質でないことも明白であり、指示が有効であったとすることはできない。ここに示した実験例は、あくまでも実験手順と字形分析の利用例を簡略に示す程度のものだからである。ただ、ここにあげた数値・グラフは事実である。利用にあたって、得られた事実をうまく利用し解釈していくことが、分析を有効に生かすことになる。実際の研究では、被験者の数を多くし、得られたデータに一般化をするために十分な統計処理を施すとともに、入念な考察と評価が必要である。

5.おわりに

 以上は、基礎的研究であったコンピューターによる字形分析を、実際の書写教育の研究に用いながら実用化していく、ということで研究を進めた第一歩である。紙上では表現できず残念だが、パソコンを使ったこともあり、先に発表した大型コンピューターを使った方法より、一般に利用しやすいものになってきた。ちなみに、実験では合計720字を測定したわけだが、今回測定した程度の特性については、今回使用したシステムでも実用に耐えることがわかった。さらに、測定した数値をわかりやすく表現する工夫などもしていきたいと考えている。

今後は、「二、書写教育研究における字形分析の利用場面」であげたそれぞれの研究場面に即したかたちで、字形分析の研究を進めていく予定である。

 

  • 実験にあたって、新潟県立新津高等学校菅井先生のご協力をいただきました。 感謝致します。

(注)