ではまず、書写・書道・習字・書き方とはいったい何なのかという点について考えてみたいと思います。これを説明するには、歴史的経緯を話すするのがよいだろうと思います。ただし、これからお話しすることは書写教育史ではありません。限られた時間ですのでかなりはしょって説明します。
まず、簡単にいうと読み書きそろばんのうち、「書き」に該当する「手習」として現代的にとらえれば文章指導と漢字教育そして文字を整えて書くということが一体となっていた江戸期に対し、明治五年学制によって「習字」が独立教科としてたてられるようになります。
そして早くも明治三十三年、小学校令の改正によって、それまでの「習字」は「書き方」という名称で国語科の中に位置づけられるようになります。
そうです、我々が慣れ親しんでいる習字とか書き方という名称、これらは明治から使い続けられてきた名称なのです。
さて途中を大幅に略しまして、昭和十六年国民学校令において少し驚くような出来事が起こります。それは、それまでの「書き方」に加えて「習字」という名称が復活するのです。どのように違うかと良いますと、書き方は国民科国語に位置づけられ明確で端正、すなわち言い換えるならば読みやすい字を整えて書くということが目標となり、習字は芸能科に位置づけられ技能・鑑賞に加えて情操という面があったのです。残念ながらこの情操は、戦時中ということでイコール戦意高揚であったようです。当時の教科書に使われている語句からもわかることです。
そして敗戦後、この時期はとても複雑なので簡単には説明できないのですが、いわゆる習字はなくなってしまいます。
それが復活するのが昭和三十三年の学習指導要領で、名称は「書写」となったわけです。
◎これらについて、さらに詳しく知りたい場合、テキストの8ページと10ページに概説がありまた125ページ以降に年表がありますのでそちらを参考にして下さい。
他の問題として、
・芸術 ←→ 実用 ・毛筆 ←→ 硬筆のことがあげられます。
もう一つの問題として、筆記具の変化が上げられます。たとえば上の表において、その最初に書かれている江戸時代から明治になる頃には実用的な筆記具として毛筆が用いられていたのは皆さんイメージできるかと思います。そして、いまの私たちは、ほぼ実用的には硬筆筆記具を用います。さていつのまに変わったのでしょうか? いろいろ考え方が他がありますが、最もわかりやすい説明として、1900年以降に生まれた人は、ほぼ最初から実用筆記具としては硬筆を用いた世代だといわれます。その1900年が、ちょうど明治三十三年だということも付記しておきます。
・目的 ・実用のため ・用具 ・硬筆 ・毛筆 |
・日常の字を書くという活動の基礎 ・文章表現の基盤 ↓ 書写の学習 ・毛筆による書写学習=日常の硬筆の書字の基礎 ・従来の習字・書き方という枠を越えて、 字を書くことの学習として考えてみる必要 |
※硬筆を用いるという表現はないが、現実的にそう考えられる。
※「正しい」「整った」という表現は見られても、「美しい」「きれい」という表現さえもない。