書写書道特論レポート 2001年9月10日(月) I・T

「字形」と個性の狭間で
―現在の実態から今後の書写指導の行方―

 

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0、はじめに

 私は、小学校の1・2年の時、県の硬筆のコンクールで特選をいただいたこともあって、「書く」ことにそれほど抵抗感を持っていなかった。小学校3年で毛筆が始まり、その前後に「書道塾」に通いました。その塾では、先生が我々の書いたものを添削してくれたり、手を取り指導もしてくれました。しかし、当時の私にとって、「字形」=「全体の組み立て」を重視しすぎる指導に疑問を感じました。「手本通りに書け」という姿勢に指導以前の教授思想に違和感を感じてしまったのです。そのため塾通いは、それきり止めました。

 こうした私の書道に対する不信を助長したのが、小学校高学年にあった書初めコンクールへの出品の際に起った出来事でした。それは、私が授業時間内に手本を見ながら「字のまとまり」より「のびのびと勢いのある字」を書いた作品を友達が提出し、私自身は「字のまとまり」を重視した作品を提出したところ、その友達の作品がコンクールに入選してしまったというものでした。困った友達が先生に真実を告げ、なぜか私が先生から怒られました。この出来事以来、「書道」の評価とは何かに疑問を持ちつづけています。本レポートでは、書写書道の目標と評価を中心に今後の書写書道の指導の行方を検討していきたい。(猶、中学でも校内代表になったり、高校では、芸術の「書道」を選択しました。大学で「書道」の免許を取得できたのですが、この疑問があったため、免許はとりませんでした。)


1、書写書道の目標

 学校教育法において、小学校の国語の教育について、次のように示されている。

 この学校教育法の規定及び学校教育法施行規則に従い、学校における教育課程の基準として、文部科学大臣によって公示されるのが学習指導要領である。平成元年版学習指導要領において、書写は国語科のいわゆる二領域一事項という領域の構造の中で〔言語事項〕に位置し、国語科の目標のもと、国語科教育の一環として行われる。したがって国語科の目標と書写のねらいは直結する。すなわち次のようになる。

 この平成元年版学習指導要領において強化された書写の要点は、次の中に端的に示されている。

 ここで注目すべきことは、「文字を正しく整えて書くことができるようにすること」であり、これは書写の学習指導の要素中(1姿勢・執筆法、2用具・用材とその扱い方、3筆使い、4筆順、5字形、6書く速さ、7文字の大きさ、8配列・配置、9書写の形式、〓良否・適否の弁別)の4・5・7・8にあたっている。これをもっと要約すれば、「正しく整った字」を書けるようにすることが、書写書道の目標といえるのである。

 ちなみに、昭和52年の学習指導要領では、書写の指導は、「言語事項」の中の文字の指導の一環として位置付けがなされている。書写指導における留意事項は、次のように明示されている。

 とあり、毛筆を使って書写の指導をするのは、「字形の正しい認識」「文字を正しく整えて書く能力」「文字意識を深める」目的を見出すことができる。

 書写指導の授業は、これらの目標に即して細かい目標(ねらい)を定めて行われていき、現場での書写の指導計画や指導法に創意と工夫が凝らされて運用されていくことになる。


 2、書写書道の評価

 一般に教育学では評価の意義として「評価は、教育目標がどの程度達成されたか、継続的、段階的に測ろうとする過程であり、それを科学的、合理的にすすめることである。」としている。

 また、評価には、生徒の学習評価、教師の評価、学校の評価があり、評価のねらいとしては、1指導目標が正しかったか、2指導計画が適切であったか、3生徒の能力、興味、欲求に対する正しい認識、4指導内容、方法の適切さ、5指導目標の達成に対する障害の発生、6教材の適切さ、7次の指導計画改善のための問題点の把握、8次の指導方法を改善するための参考などがあり、これらを観点によってみていくことが必要になる。

 その「観点」とは、「何を評価するか」の「何を」にあたるものであり、書写書道においても評価の目的を明確にすること重要なことであろう。特に一つの作品を教材として書かせる場合では、学習のねらいをはっきりと打ち出し、例えば「左ばらい・右ばらい」「点・はね」とその作品での技能修得課題の成否を評価の観点にすることだと考えられる。もちろん、授業形態をとる以上、個に即し、技能だけでなく関心、意欲、態度の育成にも配慮は必要であろうが、目的の明示による子どもの達成感をうながす評価が、個々の作品の形となって出てきやすい書写書道には有用に思われる。


 3、経験的書写書道の評価の実態

 指導過程を経て出来上がった作品の処理に関しては、私が経験した二十年前の授業においては、単なる作品評価、いや、コンクール出品作品を選ぶための評価にほかならなかった。先に述べた、書写書道の目的と評価のあり方からすれば、学校教育内における書写作品の評価は、その授業の目標とする、その時間の指導事項に照らしてなされるべきものであろう。しかし、結果としての作品の評価を授業目標とは合致しないコンクールでの評価結果に置き換え、それをすべての評価の上位に位置付けることはいかがであろうか。

 先日、院生室内で数人の小・中学校の先生にこのことを尋ねたところ、今は2で検討した教育の一環としての書写指導における評価がなされているが、同時に、展覧会やコンクールへの出展や作品審査をしなければならず、その規準も「何となく、並べてみればわかる」という曖昧なものであった。コンクール等では、学習指導要領に則った教育目標を掲げていても、コンクールごとに評価が異なることが多いそうだ。また、「賞に評価された子(努力した子?)に対し、全く書写書道の授業で認めないで、あまり努力しなかった子と同等に目標のみの達成ぐあいで評価」してしまうことも難しい。」と言っていた。確かにやる気をもたらす方策として「賞」することも意味はある。しかし、書道のように技能差(塾に行っているか否か)がはっきりとあらわれる教科では、極端な作品主義をとると下手な子の意欲はますます減少してしまう。

 「正しく整った字」より「個性ゆたかな自由な作品」を評価することは、芸術としての観点からはよく理解できる。しかし、学校教育の中で、あるいは、学習指導要領に準拠したコンクール等では、授業内の指導と相反する評価基準を示すことは、子どもたちに混乱と不信を生じさせることになるだろう。

 それではこのジレンマを解消する手立てを考えてみると、「書」の上達には段階があり、子どもの発達にも段階があることから、この両者を関連させた書写書道の基準を全書道関係者が一様に理解することが肝要ではなかろうか。詳しい「書」の上達段階は知らないが、毛筆を始める小学校3・4年時は、基本要素を中心にし、5・6年時に全体の配置に気を配れるようにする。更に、情緒の発達する中学校以降に、「美感」や「感情的表現」をもとめることを明示すれば、混乱が少なくなるのではないだろうか。


 4、今後の書写指導の行方

 私が経験してきたような書写指導は、現在ではかなり是正されてきているようだが、書写を専門に学ばず、小・中学校の免許の一講座として大学で学んだだけでは、書写の指導方法や評価の面で不安を抱えてしまう者も多い(私もその一人)。そうしたことと時代の趨勢による授業内容・時間の精選の影響や情報機器の発達による字を書く機会の減少が、「書写書道」のあり方に変化を求めている。

 特に毛筆に関しては顕著ではないだろうか。なぜなら、現在我々が文字を書く時、筆は使わない。文を書く場合、ノートにメモしたりするとき硬筆を使い、毛筆でそれをすることはないだろう。また、物を覚える際に、「目で見て」「口で言い」「手で書く」ことで記憶に残りやすいというが、この場合も硬筆である。逆に、毛筆を使う場合は、掛け軸や年賀状等の特殊な場合が多く、日常から離れる傾向が強い。そのため、毛筆の指導は、芸術の分野に組み込まれ、手書き文字の指導は硬筆だけになるかもしれない。

 しかし、なくなることはないであろう。日本語の基本としての文字の学習に際し、書写の学習内容(字形・筆順・他)を中心として、基礎的・基本的なものを身につけさせることは、他者とのコミュニケーションをとる場合でも必要不可欠な事柄であり、いかに情報機器が進んでも、文字を通したコミュニケーションにほかならないからだ。その基礎の上に個々がその必要に応じて、「速さ」「正確さ」「読みやすさ」「芸術性」といった要素を取り込んでいくのだろう。


 5、今後の「手書き文字」の行方(極論すぎるかも?)

 コンピュータの普及により従来の手で文字を書くということが、公的場面ではなくなり、私的場面でもメモ程度の覚書きにのみ活用される状況がおとずれるであろう。現在でも、文章を構成する場合、編集や保存、訂正や印刷といった行程は、手書きによることよりもはるかに情報機器を活用するほうが便利である。また、音声入力のシステムも徐々に進歩してきていて、メモ程度の覚え書きでさえ情報機器にとって変られることも考えられる。(現状ではまだ高価で持ち運びの利便性、突発的緊急性等で、手書きが勝っていると言えるが、システム手帳等の手書きとコンピュータの連合も出現している。)また、手書きの文章を読む際、書き手のクセなどから、読みにくさを生じることもしばしばであるから、美観からは合理的とは言いがたい。

 しかし、学校教育場面においては、今後も黒板に面した一斉教授スタイルが、経済的状況から存続するという前提で考えていくと、個々の生徒が重要なポイントをわたくしにノート等に書く姿は見られるはずだ。こうした場合に、手書きの有利さが際立ってくる。特に「総合的な学習の時間」等の教室外活動では、メモとして手で書く場面は多発してくるであろう。

 では、この際に求められる「手書き文字」の要素とはなんだろうか。現行の学習指導要領における書写書道のキーワードは、「正しく」「丁寧に」「整えて」「字配りよく」「読みやすく」書くことであるが、学習者がノート(メモ)をとる時に生じる活動は、1情報の収集、2情報の取捨選択(思考)、3整理(まとめる)、4定着と回帰(振り返り)ではないだろうか。ここで重要なのは、学習者自身が自分の思考過程を経て書かれることであり、他人に見せることは意識されていない。逆に先生の板書を単に書き写すのではなく、先生の説明や板書を見聞きしながら、重要ポイントを思考し、自分の視点で書くことである。

 こうした活動においては、他者を意識した「丁寧さ」や「整える」「字配りよく」「読みやすく」といった要素は意味をなさなくなる。書き手自身が4でノートを振り返って見直したときに、そこに書かれている文字・内容が、「正しく」書かれているか、自分にとって「読みやすい」かが重要になってくるのだろう。例えば「速記」では、速記者自身が「速く正確に」記録することを目的に、他人には読めない手書き文字を書くが、本人は後でそれを見て、他人に読みやすい記録・伝達文に書き直すことができる。

 手書き文字が今後、私的な場面のみに活用されるものに特化していくならば、書き手にのみわかる文字や速く書くことを追求した文字が、登場してくるかもしれない。言語において言文不一致の時代があったように、書くことにも公的な文字と私的な文字が並列することが起っていくのだろうか。


 

 《参考文献》

 氷田作治、柘植昌汎『書写指導の基本』 第一法規 昭和63年8月

 続木湖山『書写指導のポイント』 教育出版 1993.1

 小森茂序・和歌山市立城北小学校『楽しい書写学習』 明治図書 1995.9

 『生きてはたらく国語の力を育てる授業の創造』 ニチブン 2000.7

 福岡教育大学書道科編『実践 書写・書道教育』 葦書房 昭和60年4月

 神谷順治『書写教師のための25章』日本習字普及協会 1999.8

 全国大学書写書道教育学会編『書写書道 小学校編』 萱原書房 平成8年4月

 文部省『毛筆書写指導の手びき』 大阪書籍 昭和46年10月

 加藤達成監修『書写・書道教育史資料』第1巻理論史・実践史東京法令出版昭和59年6月