書写書道特論レポート

中学校における書写指導について

言語系国語コース 梅澤 浩之


授業担当者コメント

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  1. はじめに
  2. 人が手で文字を書くということは、日常生活の中において自然な行為としてとらえられている。機器の発展が著しい現代においても誰も疑問に思うことはない。しかし、これを取り立てて学習を行うとき、状況は一変する。書くことが自然な行為ではなくなるのである。

    中学校で国語の教科連絡で「書写」というと、「えー」という反応を示すことが多い。特に、2、3年生に顕著に見られる反応である。生徒は「書写」=「毛筆、習字」という発想があるようである。なぜ、彼らは抵抗感を持つのだろうか。道具の準備や後片づけが煩雑であったり、毛筆を思うようにコントロールできないもどかしさや苛立ちだけではないように思う。

    しかし、同じ毛筆でも、手本や教科書を離れ自由課題とすると、嬉々として書いたりする姿も見受けられる。もともと「書くこと」や「毛筆学習」が嫌いという訳ではなさそうである。とするならば、学校教育が彼らの学習意欲を奪っているのではないかと思えてくるのである。

    中学校での書写指導の実態を見ると、1年生は週1時間「書写」の時間が設定されているが、2、3年生では年間2回程度、文化祭や書き初めだけという学校も少なくない。

    生徒に書写学習が受けいれられない、抵抗感があるのはなぜか、書写指導の問題点を探り、評価という観点から書写指導を考えてみたい。

  3. 書写指導の問題点
    1. 教育課程に起因するもの
    2. 新学習指導要領では、書写の指導時数を1年生は10分の2程度、2、3年生は10の1程度と示されている。学習課程全体に対する国語の授業時数が削減される中で、国語の教科内容の精選がしっかり行われない限り、これまでの書写の時間への関わりからするとこの時数の確保も難しい状況である。2、3年では年に2回の書写指導で、それもほとんどを毛筆学習に充てるとしても、授業時数の減少は避けられず、これまでより目標の達成と内容の定着にはかなりの困難が予想される。

      1時間の授業を見ても、準備、後片付けが含まれるので、生徒が集中して課題に取り組む時間はかなり短い。1時間での自分の文字の変化や上達を判断することはかなり難しい。毛筆に慣れてきたころには学習を終えてしまう。

      教育課程全体での学習頻度が極端に少ないことも、生徒の学習意欲の向上に結びついていないと考えられないだろうか。また、毛筆は実生活で有用性をなかなか見いだせないということも、生徒に抵抗感をもたせる要因として考えられる。

    3. 指導者の力量に起因するもの
    4. 書写を指導する教師の力量についても大きな問題を孕んでいるように思われる。教員免許取得に際して、大学でどれくらいの知識や技能に関する教育を受けてきているのだろうか。教員養成系の大学を除き、国語の免許を取得するために、書写に関するどれくらいの知識と技能の習得がされているのか。受講する学生が、書写指導にどの位の重要性を感じているのかが問題になると思われる。文学系の学生で書写指導の重要性を認識しているものはそう多くはないと思われる。実技に関しても、十分な技能を身につけているとは考えにくい。技能は、ないよりあった方がよいと思うが、教職に就いてから技能をつけようとすれば、すべて個人の問題として任せられてしまうのが現状である。書写に関する研修の場も多くはない。そうなると、どうしても指導が手本至上主義に陥り、教科書を教えることにつながってしまうのではないだろうか。書体は知っていても、技能としての楷書や行書に慣れていない実態がある場合などは、指導すべき基本的な知識や学習内容を判断できないのではないかという危惧さえ持ってしまう。

      教師側に指導に対する基礎がなければ、教師のねらいはいかに手本に近づけるかに腐心することになり、生徒に手本通りを強要し、学習としての成立を遮ってしまっているのではないか。このことが、生徒を手本に近づけさせようという心理に駆り立て、手本に近づけないジレンマに陥らせる原因をつくっているのではないかと思われるのである。

      当然のことながら、学習の出発点は生徒の現実からではなく、教科書の指導事項からとなり、手本がなければ文字を書けない生徒を育成し、時間の経過で忘却させてしまうことにつながっているのではないかと考えられる。

    5. 評価に起因するもの
    6. 書写の評価が、何のために、誰のために評価しているのかが明確になっていないのではないかという問題がある。また、添削などの具体的に行われてきた指導が、手本との相違を指摘するだけの評価になってきたのではないか。さらに言うならば、教師も生徒自身も作品を印象で評価していなかったのではないだろうか。

      作品掲示にしても、印象的な比較になってしまい、学習の確認や成果をみるというよりも、巧拙的な視点の方が強くなってしまっているのではないか。さらに、授業で書かれた作品を書き初め大会などによる序列化を行うことによって、入賞した一部の生徒を除いて、意欲の減退と自己の過小評価をさせてはいないかと思われるのである。

      書写学習が技能のみの評価に偏ってしまい、学習意欲や態度を評価してきてはいないのではないか。学習による自分の上達を確認させることが行われてこなかった現実があるのではないか。特に、文字を自由に書くための基礎づくりという視点からは離れたものになっていると思われるのである。

  4. 書写の評価から書写教育を見直す
    1. 評価私案
    2. 生徒が自分の学習に対していかにして達成感をもつか。書写学習の評価という側面についての私案を述べたい。

      書写学習史としてのポートフォリオの導入

      自分の作品(1時間1枚以上)を自己評価(記述を中心とする)とともにファイルする。これを3年間続けることにより、学習の過程と自己の成長の過程を可視的なものとし、作品集として残したらどうだろうか。学習の継続性が意識され、学習の系統化が可能になるものと思う。

      誰が、何を評価するかということについては、生徒自身で態度、思考、技能、知識を評価することを基本として考えたい。自分の学習を客観的に評価できることが意欲であると考える。評価を学習者にさせることが、学習の主体化につながるはずである。

      教師は作品に対しては、授業の目標を明示し、書き上げられた作品を評価基準に則って評価し、自己評価に対しては1努力を認める。2長所を認める。3態度を認める。という3点から意欲づけをはかり、生徒にフィードバックする形で係わることを求めたい。毎時間の積み重ねが、学習の最初と最後での作品の質的変容に寄与するものと思われる。

    3. カリキュラムと学習活動の関係図
    4. カリキュラム(学習内容)  学習活動                        教師の評価
       中1          姿勢       学習目標                      →診断的評価
      (作品ファイル)持ち方       ↓ 課題の把握
         ↓           用筆       評価基準
       中2          筆順         ↓  学習内容の理解
      (作品ファイル)字形       練 習                       → 学習意欲
         ↓          書式  ←   ↓                          ← アドバイス・添削
        中3          配列       自己評価(意欲)                 
      (作品ファイル)速さ       自分でつくる規準            → 伸長度
         ↓           など       態度…授業に対する記述          達成度
       書写作品集               思考…自己課題の分析               ↓
         深化                   技能…学習課題に対する記述    ← フィードバック
         定着                   知識…学習内容の理解            @努力A長所B態度
                                   → 指導の適切さを評価
      
      

    5. ポートフォリオの可能性
    6. 学習目標によっては、課題(楷書、行書)や氏名、好きな言葉などを集字することによって、自分だけのオリジナル文字字典を含んだ作品集をつくることも可能になってくる。自分の学習の足跡をたどるとともに、既習の内容を振り返る機会をつくることによって、学習の確認や定着をはかることもできるのではないだろうか。また、自由課題を設定させ応用させることで、意欲の喚起にもつながっていくものと思う。さらに、古典などへの興味を啓発することによって、芸術性への視点も開かれてくるはずである。ポートフォリオによる書写学習が生きる力へと転成していくのではないかと考えるのである。

  5. おわりに
    1. 表現としての文字

      現在の学校教育、特に中学校での書写指導における現実の問題点を出発点として、生徒の自己評価活動を学習の中心に据え、評価の観点から書写指導を見てきた。その場だけの学習活動から、継続的で実用性のあるものとしての側面を中心に検討してみた。

      短期集中型の学習として書写を考えるならば、その中で最大限の効果を求めなければならない。興味を持って書写に取り組ませる課題、毛筆の特殊性を手がかりに、文字の合理性と、学習したことから汎用性を検討させることが生徒の考える力を引き出すものと考えられる。そのためのカリキュラムの編成をどうするかが今後の課題になるだろう。

      社会での実用性からの意義を考えるのは難しい面もあるが、実用だけでなく、基礎の構築の上に成り立つ、個性や芸術性という側面があることも知らせるべきではないかと考える。これまでに日本人が書道という世界に、自らの美意識を込めた作品の数々。これらに触れることにより、自分が書いた文字を見直す契機にもなるのではないかと思うからである。

      手で文字を書くということは、自己表現の一つの方法であることは間違いないのだから。

  6. 参考資料
  7. 文部省 『中学校学習指導要領(平成10年12月)解説 国語編』 東京書籍 1999

    和歌山市立城北小学校著 『楽しい書写学習:確かな上達の手応え』 明治図書 1995