『現代筆跡学序説』やそれを紹介する新聞記事などを読まれた方から、 そこに書かれていることに対する疑問について、何通かのe-mailを いただきました。
先にお断りしておきますが、『現代筆跡学序説』の著者である魚住先生は、 私にとって、ある意味で恩人です。厳しい内容のe-mailもありましたので、 私としては「その質問・疑問は直接著者に尋ねてください」とお返事したい 気持ちもありました。また、余計なことは書かずにおくに越したことはないという 気持ちもあります。ただ、私も仕事で「手で文字を書くこと」を研究して いますので、個別の返事を書きました。
以下、いただいた疑問点のうち、複数の方からいただいた部分についてのみ私感を書かせて いただく次第です。
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p.182「筆跡学会がない」におけるいくつかの記述について、うちのWebをご覧になっている方からの質問をまとめると、次のようになるかと思います。
これについて、私が魚住先生のご本を読んで思ったことは、次にあげるようなそれぞれの筆跡や書くことに関する研究をまとめる学会がないということを主張されたかったのではないか、ということです。その意味では、次の成果にも触れてあればわかりやすかったのではないかと思います。
世界的に見れば、文字を書くことに関する科学的研究団体としてのInternational Graphonomics Society がありますが、日本には統合するような学協会がありません。
その意味では、魚住先生が主導されて、統合する学会ができることを祈るべきでは
ないかと思っています。
私はおそらく自分の論文の中で、濃度を色調に変換することに対して、
解析ということばは使わないだろうと思います。
しかし、だから悪いというのではありません。
書や文字について、古くから主観的な書き方ではあっても多くの蓄積があります。そして、主観的であっても、その内容はかなり価値があるものだと思っています。ただ問題なのは、現代的な科学研究という点で、人により見方が異なると、一つの理論として認められにくいということだろうと思うのです。
ある人には感じられて、ある人には感じられない要素を、何らかの変換をすることで明確にできるなら、それはそれで意味があることだと思います。濃度を色調に変換することもその一つといえるだろうと思います。
ですから、解析というかいわないかは別として、意味のあることだと考えています。
筆跡を研究する学会がないということについて
ホームページを見ると、書道や書写教育の学会や筆跡鑑定・情報処理の分野で、筆跡を研究しているところがあるようだが、それらと『現代筆跡学序説』に書かれていることとどう違うのでしょうね。
解析ということについて
という質問がありました。
筆記具の持ち方について