なぜそう書くと見やすいのか、文字に対する感性と知識

樹(

 他の人が手で書いた文字を見て、読みやすいあるいは美しいと思うとき、頭の中でそれらについて考えているというべきか、それとも直感的に感じているというべきか。職業的に文字を見ている人を除けば、おそらく感じているというのが近いであろう。

 書写の学習は、いわゆるお手本を見て直感的に捉え、手でそれを再現しようとすることでおこなわれてきた。またその指導の多くは添削であり、学習者の書いた字とお手本との違いを直感的に把握して添削してきたと思われる。そのため、字形等に対する感性のすぐれた指導者でないとなかなか上手に指導ができないと言うのが一般的であったかと思う。多くの学問領域が理論的に構築された自然科学・人文科学として成立しているのに対し、書写そしてその基盤としての手書き文字の研究は遅れをとってきたと言えそうである。

 さて、感性による処理と、知識による処理とを厳密に分けることは難しいだろうが、手書き文字や書写について、知識的な構築がなされていないかというと、そんなこともない。試しに現在の教員養成用テキストをご覧いただきたい。また、字形を知識的に捉えようとする試みは決して最近のものとは言えず、唐代あたりに成立したとみられる「歐陽率更三十六法」「李淳大字結構八十四法」では、その表現方法こそ違うものの、観察・分類と抽象化がおこなわれている。たとえば、末尾の図は筆者らの近年の研究でコンピュータ処理から得られたものである。字形と外側から二〜三番目の線の左右対称性に注目していただきたい。このような図を出すと、極めて新しい研究のように思われがちだが、これも前述の「李淳大字結構八十四法」における「譲左・譲右」の範囲内のことに他ならない。近年はやりの言葉を用いれば、同一のパラダイムの中での洗練ということになる。

 お手本の字を見て練習することでその中に潜む規則性を無意識に把握するという練習スタイルは、未だ主流である。もちろんそれ自体、効果的な学習方法と言えるかも知れない。しかし、感覚的に捉えられない児童、規則性として理解できない人のことも、学校教育の限られた時間の中では考慮されるべきであろう。少なくとも、伝統にしがみついているかのように思われる書写の世界であっても、研究は進んでおり、指導内容・方法にも日々工夫がなされていることを知っていただけたらと思う。

 時代は、知識から感性の処理へと進みつつある。感性情報処理、もっと一般的には複雑性・カオス・フラクタルなども近い方向性を持つと言えよう。手書き文字の研究は、直感を直感として分析するのが理想なのかも知れないが、もうしばらく現在の方法で続けていくつもりである。なお、成果の一部は、インターネットhttp:// www. juen. ac.jp/~oshiki/ にてご参照いただけます。

『上越教育大学国語教育学会報』第27号, 1998.07, p.1