「読みやすい字」を「書きやすく」書くために

これからの子どもの文字書きをどう考えるか

『知の翼』2003年12月号のインタビュー記事より

 通信教育の情報誌『知の翼』の特集のため、インタビューを受けていたのですが、とても良い形にまとめていただきました。このたび、同編集部よりWebより掲載許可をいただきましたので、以下に載せさせていただきます。
 私のあちこち行ってしまう話を、上手にまとめてくださったライターおよび編集部の皆様、Webへの掲載許可を下さった部局の皆様に、感謝申し上げます。

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グラフィック版

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テキスト版


 『知の翼』の国語科には、お子様が書く文字やその書き方についての質問がしばしば寄せられます。文字を丁寧に書かせるにはどうしたらよいか、筆記具の持ち方や書く時の姿勢、筆順などはどこまで正したらよいか…など。キーボードやダイヤルキーのような新しい文字入力機器の普及が進む中、これからの子どもたちの手書き文字をどのように考えていったらよいのでしょうか。今月は「文字を書くこと」をご自身の主要な研究テーマとしてこられた上越教育大学学校教育学部助教授の押木秀樹先生にお話を伺いました。

毛筆は硬筆筆写に役立てるため

――――学校での手書き文字の指導や学習は、「書写」という授業の中で行われているわけですが、これは国語科の授業の一環なのですね。

押木先生 学習指導要領では、国語科の言語事項という領域に書写指導に関する事柄が書かれています。その中で、小学校1・2年生では硬筆を、3年生から中学校3年生までは硬筆に加えて毛筆を用いることになっています。戦前の一時期には国語科から離れて「芸能科習字」となったこともあり、いまだに「書写」というと「習字」つまり毛筆を思い浮かべる人もいるようです。しかし、昭和33(1958)年の学習指導要領からは「書写」として硬筆と毛筆とが合わせて位置づけられ、毛筆は硬筆書写に役立つように行われるようになりました。

――――「書写」はあくまで硬筆が主であって、毛筆はその習得や理解をしやすくするために行うということですか。

押木先生 硬筆というのは、鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、万年筆、フェルトペンなど、毛筆以外のあらゆる筆記具を含みます。今の子どもたちはふだんの生活の中で毛筆を使うことはほとんどありません。ですから、現在の学習指導要領には、かつての「習字」による手習い主義や精神主義につながるような内容が一切ないのです。ただ、それでも毛筆による指導も合わせて行っているのは、毛筆で大きく書くことによって字の構造や書き方がわかり、その書き方を硬筆にも生かせるからだと考えられています。もちろん、その学習の中で、子どもたちが日本の文化を自然に身につけてもよいわけですが。

――――「書写」には子どもたちがお手本とする文字があるわけですね。その文字はどういうふうにして選ばれているのでしょうか。

押木先生 学校で教える文字は大きく言って、書体、字体、字形の3つの面から決められています。書体としては、小学校では楷書を、中学校からは行書も指導します。本や新聞・雑誌の本文などによく使われている明朝体や学校の教科書に使われている教科書体、見出しなどで使われるゴシック体などの印刷用の文字スタイルは楷書に分類できます。  字体というのは、線や点など文字を構成する基本的な骨組みのことですが、これは学習指導要領にある学年別漢字配当表、または常用漢字表に従って教えます。また字形としては、整った文字を書くように指導します。小学生の場合は、楷書で、学年別漢字配当表に沿った文字を学習することになっています。


読みやすさの楷書 書きやすさの行書

――――その楷書体というのは、そもそもどんな文字なのでしょうか。

押木先生 本来、中国では楷書は石碑に刻んだり正式な文書を書いたりするときのための文字でした。それに対して、一般の人が書く際の書体は行書と草書でした。日本の場合、江戸時代を考えますと、楷書は漢学系統の本やお経にはありましたが、一般庶民は使っていません。幕府や藩の出した高札や触書、武士から町人までの手紙の文字などを見ても、ほとんど楷書はありません。つまり、楷書とは読みやすさを、行書、草書は書きやすさを追求した文字だと言っていいと思います。ところが、明治5(1872)年に学制が敷かれるや、文字の学習は楷書からとなりました。もっとも当初は教える人も習うほうも急には切り替えられなかったとみえて、行書的な字を教えていましたが、時代が下るにつれて楷書から学習がスタートするようになりました。

――――楷書を、あるいは楷書で学ぶ意義というのは、どんなところにあるのでしょうか。

押木先生 楷書は400年くらいかけて形成され、西暦600年くらいに完成したといわれています。ちょうど隋・唐の時代ですね。それから1400年あまりも使われ続けてきたというのは、この書体に文字を書くうえでのそれなりの合理性があったからだと思います。例えば、右手で左から右に線を引く場合、手首や肘・肩を支点にして動かしていくと自然と右上がりになりますが、これが楷書の基本的な字形につながります。また、一画一画が明確で、連続や省略がありませんから、字体をつかむのにも適しています。

――――ただ、私たちは小学校で楷書を学習することによって、あとあとまで楷書こそが絶対的な書体であるかのように刷り込まれてしまっているような気がします。

押木先生 でも、日常生活ではむしろ行書のような字の方がよく書かれているわけですよね。大人が普通に書く字は厳密な意味での楷書とは言えません。楷書の特徴の一つに「払い」がありますが、私たちはふだんいちいち「払い」を書いているでしょうか。ですから、実用性の面から言っても、もっと行書に注目してもいいと思います。

――――確かに高学年になって1回に書く文字量が増えてくると、楷書を自己流に崩して書いているような子どもも見られます。小学校で行書を指導するのは難しいのでしょうか。

押木先生 かつては先に楷書から始めはするけれども、行書も比較的早い段階からやっていました。現在の学習指導要領では、中学生になってから行書を学習することになっています。これからのコンピュータ時代の子どもたちが手書きをするという場面というと、急いでメモをとるときとか、授業中または試験のときなど時間が限られているときですね。特に試験のときなどは速く書ければ問題も多く解けます。しかも、一日書き続けていても疲れない書き方が重要になります。とすれば、書くための書体である行書をもっと早い段階からやるべきではないかと思います。

――――ただ、現場の先生や保護者の反対も多そうですね。楷書を十分にマスターしないうちに行書なんか習うようになったら、文字のちゃんとした形が身につかないのでは、とか。

押木先生 行書というと続け字といったイメージを持っている人も多いようですが、実は、行書というのは楷書の構造をほぼそのまま使っている一つのスタイルです。今の中学3年の書写でも「学」という字の上の部分をつなげて書く程度で、楷書とほとんど変わりありません。早くから行書を学ぶことに積極的な現場の先生は「行書を教えるって言うから反対が出る。書きやすい楷書を教えると言えばいい」なんて言っています(笑)。


「書きやすく書く」という 観点が大切に

――――行書の場合、「とめ」や「はね」の規則はある程度ゆるやかになると思いますが、小学校段階で行書を学習するとすれば、そういうことも問題になりそうですね。

押木先生 確かに「木」偏の2画目をはねた場合など、正しいとするか誤りとするか、問題となるところです。もちろん、はねないことが基本です。それは「手」偏と間違えやすいからです。そもそも「とめ」や「はね」の基準は常用漢字表に載っている明朝体で印刷された楷書の文字です。でも常用漢字表では「明朝体活字と筆写の楷書との関係について」という解説の中に「木」の2画目ははねる例が載っています。つまり急いで書いた場合には仕方がないということなのでしょうね。  私は「とめ」「はね」はあまり厳しくしないでもいいと思いますが、低学年の子どもの中には、「木」偏でも横線をとんでもなく長く書いたり、右側の点を払いのように長く書き過ぎたり、字として成り立たない形を書いてしまう子もいます。そういった段階の子どもたちに対しては、「はね」も含め、細かく注意しなければならないと思います。子どもたちに教える場合、どちらでもというのは通用しません。どちらかはっきりと決めて教えることが大切です。

――――一方、子どもたちが学習教材以外でふだん目にする漫画やゲームの攻略本などの印刷用文字には明朝体をはじめいろいろな文字の形が使われていますね。こうした文字の形も子どもたちの自己流の文字書きに影響を与えているのではないでしょうか。

押木先生 一概に自己流がいけないと決めつけることはできません。ただし、漫画やゲームの本などにも使われているフォント、一般的にいえば活字は、時間をかけてデザインすることで、インパクトがあったり読みやすかったりするよう設計されています。その時間をかけて作り上げられた字を、手書きで瞬時に書き表そうとしても無理なのは当然です。そのことに気づかずに自己流で妙な字を書くというのは、どうかと思います。明朝体が「読むこと」を大事にしているとすれば、インパクトのあるフォントは「見ること」を重視していると言えるかもしれません。しかし、そこには「書くこと」という視点がないわけです。  これまでは、もっぱら「人に読みやすいように書くように」という観点からの指導がされてきましたが、これからは「正確に、しかも書きやすく書く」ことも大切です。この観点が学校の先生にも保護者にも欠けているように思います。また、お手本の字はきれいですが概して個性がありません。お手本とそっくりにというのではなく、むしろある程度の個性はあって当たり前ですし、またあったほうがいいと思います。

――――その「書きやすく書く」ということが、先の行書を小学校から学習するようにしたらという先生のお考えにつながっていくわけですね。

押木先生 これからは文字の使い分けが重要だと思います。私が子どものころ、学校の先生たちはテストでも連絡事項でもガリ版でプリントしていました。昔はそこそこの字が書けないと書類の一つも作れませんでした。しかし今はパソコンがあります。だから印刷したような整った字を書ける能力は、必要性が薄れると思います。その代わり、欧米のようにプライベートの部分で手書きを大切にすべ きだと思います。



読みやすく、きれいな文字を書くためには

――――そこで、あるいはそれでも、親としてはわが子に読みやすく、しかもきれいな字が書けるようになってほしいという願いを持つわけなのですが、何かポイントのようなものはあるのでしょうか。

押木先生 字を書く際には、まず字の形を把握する能力と、手を動かして書いて実現する能力が必要です。つまり、認識と技能ですね。低学年で字がうまく書けないという場合には、字の形が把握できても技術的にその形に書けないということも大いにあると思います。これは学年が上がっていく過程で練習を続けていけば、しだいに書き方をコントロールできるようになってうまくなっていくということがあります。ですから、1、2年生で硬筆がうまく書けないからといって「うちの子は字が下手だ」と思ってはいけません。

――――ある程度文字は書けるようになっているのに、どうも形がうまくそろわないというのはどうしてなのでしょうか。

押木先生 その場合は、まず筆記具の持ち方を点検してみることも大切です。昔、万年筆が多く使われていたころは、親指のつけ根に筆記具を持たせかけて、寝かして持つ持ち方が多かったと思います。しかし今の筆記具、ボールペンなどをその持ち方で使うと、無理が出ることが多いのです。例えば、親指と人差し指と中指の3本ではさんで持つべきところを、親指をはずして2本で支えている持ち方をする子が増えてきました。これだと無理な力を入れなくていいので長時間書いていても疲れませんが、支える指が2本だけなのでコントロールが難しくなります。それできれいな字が書きにくくなっているのかもしれません。だとしたら、やはり教科書に載っているような持ち方、箸の人差し指側の1本を持つような感じで、筆記具を持つことが望ましいと思います。

――――筆順も形の整った字を書くうえでのポイントになるのでしょうか。

押木先生 筆順については、昭和33(1958)年に当時の文部省から『筆順指導の手びき』というのが出され、学校ではこの筆順を指導するようになりました。あとにも先にもこうした指導の手引きが出されたのはこの時だけです。これは、一般に行われている中から最も書きやすい書き方としてまとめられたようです。ですから、必ずこの筆順通りにしなくてはいけないというのではなく、この筆順で書いたほうが書きやすいので身につけておけば本人が得をするよというものなのです。日本に来て間もない外国人が書いた漢字がどことなく変だと感じることがあります。漢字の形だけをまねして書いた字はどこか妙です。原因の一つは筆順です。漢字が漢字らしく見えるということでも、筆順は大事です。  その意味で、筆順に従ってお手本をなぞってみることも効果があります。きれいな字を書くためには、まず字を見て認識し、それを実現する技術を磨くという段取りですが、なぞると、認識と技術がいっぺんにできるからです。そして最初から動きの記憶を作ることができます。特に低学年の子どもには有効な方法だと思います。